光祐の空

 

生きていたなら、今年中学を卒業し、他の子と同じように部屋が必要な時期。
どういう部屋が必要か、光祐君のお父さん鉄雄さんが思いを込めて作りあげました。
窓辺にはレースのカーテンがあしらわれ、アサガオのレリーフで彩ったらせん階段や
ステンドグラス、天井いっぱいに描かれた星の絵など、優しい雰囲気が漂う。
贈られた絵画や写真を眺めながら、ソファで自由にくつろぐことができます。

オープニングセレモニーでの丹後鉄雄さんのメッセージ

皆さんから贈られてきた絵画など

光祐君の写真とともに

鉄雄さん自身が作ったリリーフ

こんなスペースも

らせん階段

らせん階段のアサガオのレリーフ

このように、くつろげます。

かの有名ななまずの置物もあります。

浦川原村立下保倉小学校の皆さんからの贈り物

天井いっぱいに描かれた星空

オープンニングセレモニーに来てくれた
本条小学校一年生の皆さん

オープンニングセレモニーでの報道各社のカメラの列

 

光祐の部屋へのお礼の言葉

 今日は大変大勢の皆様に「光祐の空」という部屋の完成にご出席いただき
ありがとうございました。まずもって一言お礼申し上げます。
 また工事関係者の方には、図面のないところを、私の思いつきでいろいろ
注文を出しましたが、快く協力していただき本当にありがとうございました。
お陰をもちまして私の思っている以上の物ができあがり、大変ありがとうござ
いました。重ねて御礼申し上げます。
 また、本条小学校1年生の皆さんにも、お立ち会いいただき本当にありがとう
ございました。
 思いおこせば、9年前、私の次男光祐も本条小学校に胸をはずませて入学し、
ほんの3ヶ月でしたが、楽しい時を過ごさせていただきました。早く完治して
ほしいと思う親心から、医者の進めるまま、二度目の治療を受け入れました。
しかし結果はご承知の通り最悪でした。私達は光祐を手放すことになってしまい
ました。私がもう少し思慮深ければといつも思って参りました。また、私が人生で
一番の後悔は、光祐が亡くなる前日、いつもどおり見舞いに行ったのですが、
光祐が大変苦しそうで、私は見ていることができず「すぐに帰る」と言って仕度を
すると、苦しそうな光祐が起き上がり、私をじっと見つめて離さないのです。何分間
か同じようなことを繰り返しました。何か光祐は私に訴えかけている!自分の目に
焼きつけている!まさかと思いました。けれど私は逃げ出してしまいました。
「たぶん明日になれば治る」と光祐にも自分にも言い聞かせながら、その場を
去ってしまいました。自宅へ戻って寝ていると、夜中の12時頃電話が鳴り響き
ました。私には何の電話かは聞くまでもなくわかりました。私はすぐに駆けつけ
ましたが、その時はもう息がありませんでした。その時、私は思いました。
何で最後までついていて、見送ってやらなかったのか、今でも後悔の念でいっぱい
です。まるで光祐が大人で、私が子供のように思えてきました。私達を悟らす
ような穏やかな寝顔をでの旅立ちでした。私にとっては、大変重い十字架を背負わ
せられてしまいました。もし、今生きていれば中学を卒業、多感な人生の真っ最中!
 そんな彼に、私は自分のあらん限りの思いを込めて作った部屋をプレゼント
します。馬鹿なお父さんでしたが、許して下さい。あなたの生きた人生は、たった
7年間でしたが、他の人の10倍も輝いていたと、私は今でも思っています。
これからも明るい星空の上から、私達に、また悲しい思いをしている人達の上に、
一輪の光となって照らし続けてください。そんな思いで、この部屋を作りました。
らせん階段の一番最下の部分に、「光祐の空」とこの部屋の名前を刻み込みました。
 これからも、この部屋から、私達、また光祐共々、明るい、少し希望に満ちた光
を発信していきたいと思っております。
 本日は大変ありがとうございました。

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