『歯』(後編)

 環七に面しているT歯科医院は、家内が子供の幼稚園・小学校のPTAの皆さんにリサーチして、随一との評判を取ったところである。受付で最後までの治療の誓約をした。次に既往症(現病名)の欄がきた。書くまいと少し迷ったが、何か不都合が起こった時、後悔先に立たずになると思い『パーキンソン病』と記入した。

 治療が始まった。先生は口中を診て、何やら頷いて差し歯をいじっていた。2〜3分経ったであろうか、 『ハイ、口を開いて、ハイ、いいです。仮に付けときますよ。次回は駄目になっている歯を抜きます。』

 今まで苦労しただけに、その手際とスピードはマジックのショーを見ているようであった。その後、二本 の抜歯も無事に終わった。パーキンソン病は姿も現さず、また気配も感じさせなかった。

 仕事をすることは人と係わることで、無意識のうちに優劣を競いながら成功を目指す。能力だけでなく、 全人格を引き連れての争そいで熾烈なものになる。仕事で現役である限り、病気は知られたくない。弱者に も負け犬になりたくないという思いが、かつての健康であった時より強くなる。よく言えば自分の誇りのた めであり、悪く取れば自身の見栄にすぎないのだが。自然体で、力を抜いて人と付き合わねばと思いながら 現実の風が吹いてくると根本から崩れ、孤独の無限地獄に落ち込む。Lドーパ薬の艶やかなピンクを見る度 に、たったこれだけのドーパミンが作れないために、運動障害が多岐にわたるし、時間の歩みとともに悪化 が進む。救いのない、暗い迷路をさまよっているのである。『何故、自分だけが』との、めめしい愚痴と怨 磋の深みに嵌まり込む。身を潜める日々が続くだけ・・・・。

 二度の通院で、パーキンソン病が出なかったので自信を持った。震えないことは薬が時間的に最良の効果 を発揮しているのだろう。左の手が震えの中心なので治療中、眼鏡を持たせていたが、ピクッともしない。 大丈夫と安心し、緊張を解いて、待合室でリラックス出来るようになった。震えは完全に、消滅したのであ る。

 三回目の治療が始まった。『虫歯の治療を始めます。少し削ります。』ドリルの音が『ガー』と鳴った。 そのとたん、今まで息を潜めていた震えが目を覚ましたように始まった。『ブル、ブル』と幽かに、小さい が断固としてスタートした。しまったと思い止めようとしたが駄目で、逆に『ワナ、ワナ』と大きくなって ゆく。

 先生は眉宇に、最後まで治療を続けるとの決意を示しながら削りに削る。それに比例して震えは左手から 左足、右手も喜々として参加し出す。右手は遠慮しながら浸入しようと、虎視眈々と狙っている。子供時代 虫歯の治療の時、ドリルの音が痛みと結びあって、体の奥底に染み込んでいたのだ。気持ちは焦り、体は動 かせない。口は開きっぱなし。治療台もカタカタと動き、無影燈まで動き出した。

 限界だと思った時、ピタッと震えが止まった。まるで嘘みたいに。助手の方の左手が、私の左腕と胸に、 そっと置かれたのだ。猛威をふるっているパーキンソンのイタズラッ子を手なずけ、そして封じ込めてくれ たのだ。小さな手だが、天使か、母のたなごころのように思えた。助手の方は、口の唾液や削りかすを吸い 込むバキューム管を扱っている。その仕事を始めると手が離れる。すると坊主は現金なもので震え始める。 手が来るとすぐに隠れる。何回かいったり来りで、治療は終わった。先生は一番迷惑をかけられたのに、ど こ吹く風と、ニコニコ笑って終了を告げた。助手の方にお礼を言うと、彼女はニコッと笑って、『気にしな いでください。患者さんの中には、座っただけで震える人がたくさんいますから。』と、まったく普段の調 子。

 些細なことでも、受け取る側が素直な気持ちになれば、生きていることの素晴らしさを味わうことができ る。人間の作った世の中の、人間との関わりもまんざらでもないなと、しみじみと思う。歯は一月の中旬、 完癒した。

1996/3