難病・パーキンソン病との出逢い
 「それは五十肩から始まった。」左の腕の上げ下げのたびに痛みが走り、特に背広を着る時に回す事がで きなくなり、日常の生活に数々の支障を与えた。鍼から、お灸、マッサージ、いま流行の気功等、良いとい われるもの全てにかかったが結果は思わしくなかった。痛みは増減を繰返しながら何時までも続き、整形外科の先生に訴える頻度がだんだんに増えていった。「注射をしましょう。きっと楽になるから。」前の肩へ一本、二週間後、後ろの肩へと治療が始まった。三ヶ月程たつと痛みが薄紙を剥ぐように消え始めた。動きが滑らかになり、いつの間にか背広も一人で着ることができた。医師に伝えると五十肩の治療の終了を言われ、普通の生活と仕事に戻った。

 しかし、その前後に「アイツ」は私の体に取付き、蝕み始めていたのである。微弱な振戦が始まった。自 分の意思とは何の関係もなく、いつの間にか震えており「オヤ」と意識を走らせると何事も無かったと言わ んばかりに止まる。これはきっと注射が痛み止めだった影響だろうと自分勝手に思い込んでいた。一ヶ月た ち、友人に指摘されたのは歩き方が爪先だけで「トットッ」とつんのめるようだと言われた。踵が地面に最 初に着くように意識して歩くと一応形はつくが、今度はスピードがまるで上がらない。だが顔色もよく飲食 その他、何の不調・不都合もなかった。

 丁度その頃、私の一歳上の従兄弟が舌癌を患い、十五時間に及ぶ手術を受けた。その見舞いに寄った時、 彼はしみじみとした口調で「修チャン、しょうがないよ、しょうがないんだよ。これからも頑張って治るま で何度でも手術を受けるよ」気丈な彼はこう言ってうっすらと涙を浮かべた。

 人間、いや万物の生老病死は観念の世界では解っていても、自分の事、また近しい肉親の現実になると、 あまりにも大きすぎて受け止めることができない。自分が無力である事を知らしめられ、やがて諦観せざる を得なくなる。そんな時、今まで黙して何一つ口だしをしなかった家内が診察日に一緒についてきた。医師 に「主人の手の震えはご存知ですか」と尋ねた。「CTを撮りましたが脳に異常はありません。小池さ んのは癖の一つかと思っていました。」家内が「三十年に渡って暮らしているが、こんな癖はありません」 と強い口調でいうと、「大きな病院でみて貰って下さい。紹介状を書きましょう。何時行けますか。」「今 から行きます。」家内が今までどれ程心配していたか痛い程感じられた。それでも、まだ私自身は痛風の患 者だったので、常用しているザイロリック痛風薬の副作用程度と思いタカをくくっていた。

 病院は住まいから近く、環七の通りに面してあり、精神病院として高名な所である。外科、内科もあり、 特に脳神経内科があった。先生は私を前後左右に歩かせ、じっと観察していた。また震えてる左の手の人差 指を鼻につけさせ、目前一メートルばかりの距離に先生の指を固定させ、私の指を鼻から離して付けるよう に指示した。私の指は、先生の指に何度やっても届かなかった。自分の体の一部が思い通りにならない。こ んな簡単な事ができない。目の前に暗い渕がポッカリと口を開けて手招きしている様だった。 先生は変りのない口調で抑揚もなく「間違いなくパーキンソン病です。」と言った。「アイツ」はこの時オ ドロオドロして、まがまがしい正体を私の前に現したのだ。
1995/2