睡眠・そしてウツ

 K1会計事務所は仲御徒町(台東区)のマンションの7階にある。建築されて二十有年たつ中古のビルで ある。当然の事にエレベーターも機種が古く、上下へのスピードが遅い。急いでいる時など、イライラが昂 ずる。

 過日、仕事が終わってエレベーターを待った。上の階から降りてきて扉が開いた。六人乗りの箱で狭い。 中に若いサラリーマンが鞄を抱えて乗っていた。小さい密室の中で二人きりになると、なんとなく息苦しい ものである。そこで声を掛けた。「古いせいか、ゆっくりしておりますね。」若者は返事をしないで目をつ ぶっていた。そこはかとなくきまずい空気が二人の間に流れた。その時、不意に私のスポーツ新聞を持って いる左手が震え始めた。「カサカサ」と小さい音で不気味に続く。「シマッタ」と思ったが、今更、引き返 すわけにもいかない。儘(まま)よ、いくところまでゆけ、とほったらかしにした。左手は、ますます震え る。心なしか音も「ガサガサ」と大きくなった。

 エレベーターはいつものペースで、ゆっくりと降りてゆく。突然、若者が目を大きく見開き、まじまじと 私の左手を見た。そしておずおずと声を出した。「アノー、なにもしないのに震えるのですか。」咄嗟に私 は答えた。「アッ、コレ、これは丁度、薬が切れたとこなんだ。」

 若者の顔がこわばった。そして、扉に向かって「クルッ」とまわった。彼の背中には、恐れと早く一階に 着けとの願いが浮かび上がっている。「助けてくれー!」の悲鳴も聞こえてくる。そんな彼の気持ちに逆ら って、古いエレベーターは、ことさらゆっくりと降りてゆく。

 ジャンキー(麻薬中毒患者)と乗り合わせた不幸と共に、密封された小箱はやっと一階に着いた。扉が開 いた。その途端、彼は、カールルイスもかくやのスタートダッシュで飛びだしあとかたもなく消えた。その 時私の震えも、何事もなかったように「ピタッ」と止まった。

 「世俗にまぎれる」と言うが、還暦で定年を迎え開放感を満喫できると思ったが、浮世の義理は年々歳々 かえって深くなり、なんだ、かんだと忙しさが途絶えない。昔の定年は隠居すると言うことで、公の行事や 冠婚葬祭には、一切出なくても良いという人間の知恵が生んだ良い制度であった。老人達は自分の意思で隠 居し、後を若手に譲り渡し、俗事に煩わされないで静かな落ち着いた生活が送れたのである。寿命が延びた のは、大変結構な事だが、それだけに余生の過ごし方が難しくなった。天寿を全うすることは、他人の手を 借りなくてはならない事であり、年を重ねる如くに必要とする手は多くなってゆく。老人が増える、その裏 側は若者の手が何本も支えに使われているのである。

 年を取ると種々の欲望は希薄になってゆくのに、動いてないと安心できないという自分の貧乏性にも、ホ トホト困っている。

 この病気は脳の病である。素人考えでも睡眠が大切な治療の一つであるという事は言うまでもない。「昼 に眠い時はどうするか」と質問されたら「すぐ眠ること」と答えるしかない。脳が充分な眠りを必要として いると考えて、理屈なしに従うことが肝心なのである。続いて睡眠の質と量を考えてみよう。前者は、深い 眠りで脳の完全な休養を目指す。ストレスや悩みなど出来得る限り、遠ざけることが望ましい。後者は時間 を眠り始めより逆算し、脳が必要としているだけの眠りを充分に取る事である。意識的に、そして計画的に 眠りをコントロールしていくことである。難しいことだが、やはり規則正しい生活を送ることであろう。い ずれにしても、この病気に対して睡眠の大切さをよく認識し、眠りを中心とした暮らしをのびのびとするべ きであろう。

 私にとっては、口角、泡を飛ばす、あのパーキンソン病のシンボルとも言える便秘と、この睡眠とはまっ たくの同価値に位させている。

 次に、誰しもが遅かれ早かれ経験している「ウツ」の状態についてである。

 ウツ病まではいかないが、激しい落ち込みや、果てしなく湧いてくる、理由なき不安感は時により耐えら れない程のものになる。物事を悪い方へ悪い方へと考え、今までの生きざまと、これからの人生を否定的に 思い込んでしまう。思考が泥沼に入ったようになり逃れる事が出来ない。そして、身体もそれにつれ、次第 に動けなくなってゆく。この病の特徴なのか、あるいは薬の副作用なのか、解らないが、大変苦しいもので ある。今までに何回か襲われた経験上からいうと、まずウツ状態になったら、なにはさておいて、その場所 を移ることである。

 私の場合は、何時であっても、何処であってもまず外に出てしまう。その為、常に玄関には、外出用の支 度がしてある。古い履き慣れた運動靴・ステッキ・小銭入れ・帽子・傘等、季節に応じて置いてある。行き 先など決めず、まず歩き出す。こうしてリハビリも兼ねての散歩が始まる。しばらく歩くと、ウツの時とは 違う神経が使われているのが解りだす。

 道の安全を確かめたり、信号を見たり、自動車、自転車を避けたり、商店を覗いたり、と忙しいもので、 時間と共に気が紛れてくる。散歩は「ウツ」が完全に無くなる迄続く。ウツが大きくならないうちに、始め た方が短い時間ですむ。体が不調で外に歩きに出られない時は、部屋を変えるとか、風呂に飛び込むとか、 やはり、今、居る場所をできるかぎり早く、変えることを心掛ける。車椅子で外へ出るのも良い。ただ突飛 な行動になるので、前もって家人には理解を取って置かねばならない。ウツ状態を軽くみてはならない。心 と体は堅い絆で結ばれているので、放置しておくと病気は悪化進行してしまう。

 パーキンソン病は十人十色で、奇妙な症状がそれぞれに異なって出る。あまりにも個性的なので、対処も 個人的なものになる。各自が知恵を絞って戦われ、勝利を得られんことを。

 アルツハイマーの方、呆けが進んだ老人達の特徴に徘徊彷徨(はいかいほうこう)がある。家を出るとい う事は、日常の生活の場から離れる事で、ある意味では旅に出ることと同じである。彼らは、いなくなった 自分を探し、取り戻し、また、新しい自身を発見しに歩いているのではなかろうか。こう考えると彼らに対 し心が和む。同時に必至とも言える、外の歩きには心が痛む。どんな病にも敢然と立ち向かってゆく人達を 見ると、人間の素晴らしさをしみじみと感じることができる。

1998/10