二〇〇一年の夜明け
 いよいよ後、数日で私たちは二十一世紀を迎へます。この時を生きてゆく時代に偶然にも生まれ会わせたことに、何とも云い知れぬ不思議なものを感じます。私は今、国立療養所東京病院に入院中の身です。十二月の早朝の空はまだ白く、広大な院内の敷地はモヤが漂っている、大樹となした何十本ものケヤキは生茂っていた葉を、すっかり地に落とし、はだかになった枝が天に向かって高く高くのびて小筆の先に墨を付けて描いたような、大パノラマの絵のようである。シーント辺りは音ひとつなく静かである、時折、寒風が落ち葉とたわれむかのようにカサカサと軽い音をたてスーット木々の間を軽やかに、フィギュアスケートの一回転ジャンプを次々とこなしては何処となく去ってゆく。

 太陽の光を見ぬ月は、どことなく寂しい銀色で陽が昇りくるのを、ただひたすら静かに待ちこがれているように見える。私は、ふと院内の広い敷地内の一角にある立て看板に見入った、板に白いペンキを塗ったその上に黒いペンキの字で、国立療養所東京病院の歴史を綴ってあった。

 大きく育ったソメイヨシノの木と大木のケヤキに、ここ病院の歴史を重ね思う。この病院で幾多の人間ドラマがあったことでしょうか。私は今、こうして生きて二本の足を地につけ立っているのです。

 あー、二十一世紀を目前にして………
楽しかった思いでは、しっかり抱えて、辛く悲しかったことは全て二千年に置いてゆこう。
 東の空がオレンジ色がかってきた、まばゆい程の美しい悠然とした太陽が、ゆっくり、ゆっくりと何時の間にか全貌を現わした、かた時も休まぬ宇宙のリズムにのって、暖かく、やわらかい太陽の光りをあびて、草木も目を覚ましたように生き生きとして見える。

 何処からとなく、小鳥のさえずりが聞こえる。突然、遠くの病院の正門の方から、ブルルル、ブルルルルとバイクの騒音が、静けさを一気に破って近づいてくる、良く見ると二十歳前後と思われる若い娘さんの新聞配達です。何とたくましい姿でしょう!、二十一世紀は、女性の時代と言われた方がいましたが、まさに、その姿を見た思いがしました。私は、次の言葉をかりて自分を慰めているのです。タゴール曰く「花は散っても、甘い果実はのこる」と。私も半生を過ぎて、残りの自分史をどう綴っていくか。 来年こそ、確かな希望のもてる年であることを願いつつ。