心と心を結ぶ言葉
 やっと暖かい春がやってきて、黄色いたんぽぽも、お日様が出ている時は、花びらを全開にしています。 でも、お日様が隠れてしまったら、”す〜っ”といつのまにか花びらを、みんな知らない内に閉じてしまいます。

 私たちも、誰かに暖かい言葉で”ほわ〜っ”と包んでもらいたくなる時もたまにはあります。もちろん、とても元気な時だってあります。身体も気持ちも、一年中元気な人って、お医者さまだって、スポーツマンだって、何処にもいません。

 もし、小さくなったハートをいともたやすく活性化させてくれて、沈んだ心を浮上させてくれる人がいたら、”いいな〜”って心のどこかで思ったことはありませんか?。身も心も病んでいる時、自然と声のトーンもおちて、声の響きもなくなります。そして、自分の方からはあまりおしゃべりしたくないし、口数も少なくなってしまいます。

 病んでいる人の心をほぐし、元気を出させるものは、話のテクニックなどでは通用しませんね。どれだけ相手の人を大切に思っているかで、決まるのではないでしょうか?それは、話上手とは少し違うと思います。話上手はかえって、相手の心を奥に追いやってしまう事もあります。

 人の心というものは、それ程、繊細でデリケートなのです。相手の苦しみをより分かってあげようと、同苦(苦しみを一緒になって味わう)することから会話が始まるのだと思うのです。特に心を病んでいる時は、たった一言が人生を左右してしまうことだってあると思います。

 悩み苦しみ、自分と闘っている時、現実離れしたことを言ったりすることもあるかも知れません。又、致命的な一言であったり、そのような時、相手のその一言を決して聞き逃したりしてはならないと思います。

 人間一人の命は、地球よりも重く尊いものです。そして、一日命を延ばすことは、地球いっぱい、あらゆる宝石をちりばめるよりも素晴らしいことなのです。なぜ、私がこのようなことを言えるのでしょうか。・・・そうです。かつて私自身が重い心の病を、この心と身で体験したから言えるのです。ですから、より冷静に心の中が見えるのです。

 医者は患者に病状をお聞きになり、お薬を下さいます。しかし、患者は病んでいるのですから、順序よく病状を訴えることがとても難しいのです。医者の立場からは、断片的なところしか見えないかも知れません。

 人間は「精神」でもっているような気が致します。ただの同情やなぐさめでは、いつまでたっても患者本人は自立できないと思います。本当に、一人ぼっちに置かれた時、気がつくこともあります。チヤホヤした言葉も、激励もいりません。まだ、黙って聞いてあげるほうがどんなに救いとなるでありましょうか。良かろうと思って、ああしなさいこうしなさいは、なるべく言わないほうが良いかも知れません。本人が一番よく知っていることですから。

 相手の心を、よりなごませることが、一番の良薬かも知れません。