おかあさん・・・
 この夏一年ぶりに故郷のある広島県の中国山脈のふもとにある、小さな盆地の豊栄町乃美に帰った。私の実家のある場所から見える前方に鷹の巣山が空に突き出すようにそびえ、山の裾野は幾重にもこんもりした小さな山並みが連なっている。晴れた日は鷹の巣山が遠く見えるが、雨上りには山が、ぐっとせまって緑のあざやかさを一段とひきたてる。この頃の季節(九月)には、山の裾野にはススキが白く初秋の風にゆれているであろう、実家の畑のまわりには早々とコスモスの色やさしい可愛い花があたりいっぱい咲いているに違いない。 幼い頃、お盆がやってくると私は母の後を追いながら、マキモチを包むシバの葉を竹篭が一杯になるまでつんで歩いた。私が、大きなやわらかいシバの葉を見つけると母はきまって、それは好い葉じゃね、と云って喜んでくれた。
 後々になって気付いたことであるが、マキモチを包むシバの葉は蒸して食べる時に、かたいほうが食べやすいと云うことである。いつも忙しく働いている母は、春に海苔巻に入れるセリをつむ時も、山にワラビ取りに行くおりも、こうやって母ならではの思い出を私に残してくれたのです。
 私のかよった小学校は、家の門からよく見わたせる位置にある。砂利道に野草が所々ぼうぼうと生えて道のわきに小川が流れている、川には小さい魚のメダカから、どじょう、ハヤ、フナと大きいものでは、鯉やなまず、うなぎ、などいた。この川で寒のシジミは病人に良いと、母は祖父の為に凍るような水の中で手足を真っ赤にしてシジミを取っていた。幼心に私は、なんで鬼のような恐いお爺ちゃんにシジミを持って行かなければいけないのかと思った。
 小学校では毎年、学芸会があって当日は新しい洋服を着せてくれた。一年生から六年生までの間に演劇の主役が何故か私にまわってきたが、一度、先生に、鶏のお母さん役をと云われて、学校を抜け出して家に帰ったことがあった。私は、お母さん役が嫌でしかたなかったのである、その理由は十羽いる可愛い、ヒヨコ組の一羽になりたかったのと、だいいち体の小さい自分は親鶏に似合わないし、十羽もいるヒヨコのお母さん役は重荷に感じたのである。担任の先生から母に、どうして、まりこちゃん、主役の鶏が嫌なんでしょうかと云われた母が、私の顔を悲しそうにのぞき込んだ表情はいまもって忘れることができない。

≪家 出≫

 あれは何時の頃であったでしょうか、確か高校生時代の夏休みだったと思う。母に反発し、むしょうに家出したくなったのです。何が原因で家出をしたのかいまもってさだかではありませんが、ささいな事には違いない。今、思うにあれは青年に達する第三の反抗期だったのかも知れない。
 家を出て行こうとする私を母は止めようとしましたが、すばしこい私は台所わきのお勝手口から、そーッと家を出てバスの停留所に向かった。それに気付いた母は後からついてくる、何処までも追いかけて来そうなので、私は二つ先のバス停へと向かったが、時々小走りしながらも後を振り返り母の姿を確認していたのです。まだ、ついて来るだろうと振り返ると何と母は背を向けて帰って行くではありませんか、何処までもついて来ると思っていただけに拍子抜けしてしまった。実のところ母を困らせようと家出を試みたのに困らせるどころか逆に見捨てられたのではと思ったのです。罪悪感よりも後悔の方がさきだった。あれ程、勇んで出て来たのに、だんだん心細さが募ってきたが意地をはった分いまさら引き返すことも出来ず、とうとうバス停までたどり着いてしまった。
 当時のバスの時間帯は、せいぜい一時間に一本か二本しか来ない、私は家に帰ろうかどうしょうか迷った。もしかして母は帰るふりをして迎えに来てくれるのではと、淋しくなった私は何時の間にか期待していたのである。そうこう思いめぐらしている間に、坂の下からブウブウとエンジンの音がしてきた。デコボコの道路を土ぼこりを辺りにまき散らしながらオンボロバスの全貌が見えて来た、私はあせった「どうしょう、バスが来ない内にお母さん早く早く」と、足をジタバタさせていたが、ついに目前にバスが止まり車掌さんがドアを開けた。私は「お母さんのばか」って、停留所に云い残して乗り込んだのであった。行き先は山陽本線が通っている河内駅である、小さな駅の待合室には行商人と思われる数人が大きな袋敷包みの荷物と一緒に長椅子を陣取っていて、何やらその日あった事を話している様子であった。駅の構内に所々水溜まりが 残っている、駅員さんがお客に暑さを凌ぐ為に水をまいたのであろう、待合室の隅にブリキのジョロが置いてあった。登りの汽車を待っている間に、石炭を満載した貨物列車が通り去っていった、急にあたりが騒がしくなって何処からとなく人が集まり狭い待合室はごったがえしてきた、切符を買う小窓から駅員さんが顔を出すと皆、一列になりそれぞれ行き先の切符を買い求める、私の順番がやってくる、不安で心臓の動きが早くなる、家出を駅員さんに悟られまいとそればかり気にしている自分に、はーい次の方と云われて、とっさに私の口から出た言葉は「本郷のお姉さん所に行くんです」でした。改札口のチェーンが取りはずされ、次々に差し出される切符を駅員さんは手際よくカチカチと切っていく、関門を通過した私はすっかり母のことを忘れていました。≪続く≫