ついに ご入院
 ピーポー。ピーポー。午前3時過ぎ、けたたましい音を鳴らしながら、救急車がご町内の細いくねくね曲がった道をやって来る。

 草木も眠るこの時間、”ピーポー”の音はアパートの前に来て、やっと静かになった。救急隊員のアパートをかけあがる靴の音がして、ドアを「ドドドン!」と、拳で叩く音と共にドアが開いたのか、数人と思われる救急隊員の人が、すばやく死人になりかかっている私をなにかでくるんでくれた。救急隊の人と私の子供が、何やら忙しくやりとりしているらしい。

(何でもいいから、どこの病院でも構わない。早く、早く、運んでー!!!)

心臓を潰されているような、”世の中で、これ以上の激痛があるかー”と思う。

 激痛で言葉も発することが出来ない。もちろん、体は硬直状態。やっと、いきつけの病院についたが、苦しんでいる私の側で、落ち着きはらった救急隊員と医師らしい人が何かを話している。この話の長さが、私には永遠と続いて行くんではと思った。

 何の手のほどこしようのないまま、少しづつ、少しづつ、胸の激痛が痛みに変わっていった。心電図を何度かとって頂いたようであるけれど、体が震えていてうまくとれなかったようである。看護婦さんらしき人が優しく、そして慣れた手つきで、飲み込めないで口から流れ出る唾を、タイミングよく拭き取ってくださる。

 3人の子供が、付き添って来てくれたらしい。誰かに、(「お母さんの年齢は?」と、何度か聞かれている)。娘は、ちょっとつまって、53歳と言った。このへんからの会話は、痛みもだいぶ薄らいで、私の耳はほぼ冷静に聞こえていた。口の聞けない私は、頭の中で、(「何言ってんのヨ。54歳じゃないの」)。そして再び誰かが、(「えー53歳?」)と聞いた。それで又、うちの娘は(「はい、53歳です」と、さも確信ありげに言った)。どうも、運び込まれた病院のカルテの生年月日と、娘の言っている母親の年齢の誤差に、こんな時にこだわっているらしいと思った。

(歳の一つや二つなんて、こんな時どうだっていいじゃないの。私のこの痛み、早くなんとかしてくれないの!もうー、麻酔でも・モルヒネでも・ブスコパンでも・セデスでも使ってヨ!失敗して死んだっていい。どうせ死人に、口なしなんだから・・・。)

 痛みでパニックの”おつむ”は、全て我が身中心にヒステリックに受け身となる。申し訳なくも、我が娘は会社を休んで一晩中、小さな椅子に座って私を見守ってくれた。娘にこんな正体を見せたのは初めてであったが、私は30年もの間3人の子供の幸せを、ただひたすら祈り続けてきた。そして、又これからも、当然続くであろう。ならばせめて、母親の年齢くらいちゃんと覚えとけと言いたかった。

 この2月頃から、主治医の先生に入院を勧められていたのだけれど、4月に癌の摘出で入院した折、やたら薬の種類が多く、パーキンソン病用のLドーパの量を誤って、不規則に服用したことで、随分と看護婦さんにお世話になってしまって、入院アレルギーになってしまったのである。

 どういうものか診察日が来ると、普段の時より”ずー”っと具合が良くない。ある時、外来で主治医の先生に、”マジ”に入院を勧められた。私の主治医の先生は、大変お美しく、お若く、しかもスタイルはスリムでお背が高い。

 もし、このお美しい先生が、男性患者に入院を勧められたならば、即座に「イエース!(^_^)」と、鼻の下を長くして答えるに違いない。その美しくステキな先生様々にたてつき、入院を拒み、なんだかんだとへりくつを言ってきたあげくがこのさまである。

 夏の終わり頃、以前お世話になった婦長さんに、ナースステーションの前でお会いした折、「高沖さーん、そろそろお待ちしてるわよー」と言われ、”ドキッ”とした。突然言われて、何をどう言っていいのか、口から出た言葉は「あのーパジャマがありませんし・・・それにー、今、ワープロ習っていまして・・・それが12月までかかるんですー」なんて、幼稚なこと言っちゃって。

 N監督の奥さんが、「無言は金なり」と言ったそうであるが、もっと早くこれを言ってくれてたら、パーキンソン病特有の私の大汗をかかずに、済んだものを。それで、婦長さん満面の笑みをたたえて「高沖さーん、Tシャツでいいのよ。それに、ワープロでもパソコンでも、看護婦さん教えてくれるわよ」。

 その時、私はピチティ(ピチピチのTシャツ)を、確か着ていた。それにしても、この様なきてんがきく、優しくも説得力のあるお言葉を今頃になって、何で思い返すのであろう。

 いいかげんな考えであるが、私の様な”だだ(わがまま)”を言う者。又、仮に病室でお煙草してる人あれば、皆さん、”どお”ご注意なさいます?『えー、何やってんですかー。ここでは禁煙ってことになっているの、知らないんですか。』そう、まぁ、こういったところかしらね。し・か・し、この神経内科婦長は、説得に於いては(他のことは、分からないが)相当のハイレベルである。

 そうね、婦長さんだったら、きっとこうおっしゃるわ・・・。『もしもし、お煙草お吸いになられたいのですね。』ハートここで姿勢を低くして手を口元にもっていき、手の平を外に向けて『ゴホン』とも『ウフン』ともとれる”小・せ・き”をする。そして、優しいほほ笑みで『困るのー』といったおメメで、一段とハートの天使のほほ笑みを表に出して、『本当にごめんなさい・・・病室は禁煙となっておりまして・・・誠に・・・申し訳ございません・・・』と言いつつ、おじぎをして右手でドアを少し開けて、左手は[出ろのしぐさ]”ほわっ”と斜め前から、タバコをくわえている者の前からドアに持って行き、ここでしっかり同じ態勢で頑張る。そして、右手で少し開いていたドアを一気に全開する。ちょっと言いすぎかな・・・。(^^;

 いくらへりくつ言っても、突然の激痛がくれば、地面に頭を何回でも下げて助けを求める。そして、医師を神・仏のように思い、看護婦さんは白衣の天使であることを、少しも疑うことはない。

 ただ今、入院中・・・お医者様のおっしゃることは、素直に聞いた方がいい。だって相手は、神経内科の専門医ですもの・・・。意地を張った分、もう充分なほど激痛を味わった。