
第2章 競馬ライフをエンジョイするために
|
『競馬はギャンブルであり、それ以外の何物でもない。だからこそ楽しいのだ!』
第1章で筆者はこう述べた。つまり、きれいごとではなく、競馬は《博打》であると言う事をしっかりと脳裏に叩き込んで、競馬ライフを楽しもうと言う事である。ここのところが、キチンと把握できていない人が世の中実に多い。何を隠そう、筆者の若い時がそうだった。
たまに当たっては欣喜雀躍のあげく散財。はずれたと言っては、益々熱くなって深みにはまっていく。この繰り返し。それこそ、生活に影響を及ぼすほどに…だ(もちろん経済的に)。
今思うと、恥ずかしいだけでなく、少し背筋も寒くなる。ちょっとばかり調子がいいと「オレは、これで生活できるのではないか…」なんて、大それた事を思ったりしていたのだ。
バカバカしくって話にならない。そんな事はあり得ないのだ。その証拠に、あれほど毎日そばで馬を見、データを熟知している評論家やトラックマンが、いとも簡単にはずしてばかりいるではないか。
じゃ、なんで馬券を買うのだろう? ストレスの解消手段? その割には、どう見てもストレスを発散できる確率は低い。もっと言えば、場合によっては、連敗街道まっしぐら…(筆者は過去に17連敗という金字塔を打ち立てた。ほっとけ!)なんてことになり、かえってストレスを溜め込む事さえある。それでも、やめられないのだ。
|
筆者は下手なゴルフも嗜むが、競馬はこれにも少し似ている。散々なスコアで、何でプレー費を払ってまで、こんなに惨めで切ない思いをしなければならないのかと思った事は、それこそ数え切れない。
ところが、あれほど「もう二度と来るものか!」と心に誓ったはずなのに、また少し経つと、いそいそとゴルフバックを肩にかついでいるのだ。これは一体、どういう事なのだろう。
とどのつまり、どちらも難しいのだ。難しすぎて、簡単には行かないのだ。そして、ハードルが高ければ高いほど、人は闘志を燃やし、幾ばくかの勝利にも歓喜する。これでいいと割り切ることだ。
この世には下手でも楽しめる事が3つある。「それはゴルフと競馬とセックスだ!」なんて、誰か言わなかっただろうか?まさしく、わが意を得たりである。
下手は下手でいい。勝負が小さいと笑われてもいい。自分の経済的容量がバケツ一杯だとしたら、そのバケツからこぼれた水(金銭)の範囲で競馬を楽しむのだ。けっして、バケツから水を汲み出してまでギャンブルはしない。いや、してはいけない。これは筆者のポリシーである。
そして、これでも、レース前は胸が張り裂けるほどの緊張感が持てる自分を愛しく思うことだ。
|
|
|