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| 時の便り 〜 歌碑が語りかける先人の叙情。つかの間のロマン紀行に出発。 |
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| 関川村にある歌碑・史跡は、昔から伝え守られてきた大切な財産です。 |
| 一つひとつに刻まれた歌を深く味わいながら歌碑をめぐると、先人の関川村に対する思いが伝わります。 |
| また、そこで展開されたドラマを思い描くと、心が豊かになっていくようです。 |
| 関川村の歌碑・歴史は文化とロマンの旅へ私たちをいざないます。 |
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■渡辺愛桂句碑 |
風かおる 桂の関のいまむかし
愛 桂 |
| 本名は渡辺慶太郎氏、愛桂は、東京大学医学部を卒業後、村上市で病院を開業し、名医として人々に親しまれ信頼を集めました。 昭和6年に建てられた立派な石碑は、格調高い句にふさわしく、いしぶみ愛好家にとって貴重な存在となっています。 |
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■渡辺海笛歌碑 |
住来の 幾代の幸を 祈りきて 古城が丘に 久遠の架橋
海 笛 |
| 本名は渡辺陸之助氏。昭和46年8月に建てられました |
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■生田蝶介歌碑 |
あら川の はてもなく山 燃えつづく 鷹巣の紅葉の 饗宴を見き
蝶 介 |
| 日本歌人クラブ名誉会長。昭和40年6月6日、門下有志が生田氏の喜寿を祝い、鷹の巣温泉にある鷹の巣館主人の協力により建てられました。この碑は同旅館の前にあり、表面の歌は生田氏の直筆です。 |
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■石塚友二句碑 |
前山の 涼しき影を 水の上
友 二 |
| 新潟県出身の俳人協会名誉会長。この句は、昭和53年7月大石ダム完成記念の際、関川村への招待を受けた石塚氏が現地で詠んだものです。句碑の表には石塚氏自身の書が、裏には大石ダム建設の経緯が刻まれています。 |
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■相馬御風歌碑 |
現身は 花とちりつゆと きゆるとも たまは生きなん あめつちとともに
御 風 |
本名は渡辺慶太郎氏、愛桂は、東京大学医学部を卒業後、村上市で病院を開業し、名医として人々に親しまれ信頼を集めました。
昭和6年に建てられた立派な石碑は、格調高い句にふさわしく、いしぶみ愛好家にとって貴重な存在となっています。 |
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■土沢のほう示石 |
| ほう示石とは、領地などの境目に立てた杭や札などのこと。鎌倉時代、荒河保は奥山荘と境界周辺の所領をめぐって論争を何度も起こしていました。しかし、正応5年(1292)7月18日に和解が成立し、文書を交換の後、要所にほう示石がすえつけられました。これは、そのうちの一つで昭和53年4月28日に村の文化財に指定されまいた。 |
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■桂の五輪塔群 |
| 慈覚大師は、貞観3年(861)薬師岳開峰の際、桂地内で護摩を焚き煩悩をはらったといわれています。この地に供養塔が建てられました。荒河保の地頭職であった川村氏は、後鳥羽院が隠岐の島で崩御されたことを聞き、供養塔を建立しました。昭和52年4月28日に村の文化財に指定された桂の五輪塔群は、慈覚大師供養塔1基、後鳥羽院供養塔1基、川村一族の墓標2基から成り立っています。 |
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■さくらの碑 |
あらかわの四方の山並美わしく 桜花らんまん 清き水辺に
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| 荒川に造成した桜づつみが、建設省北陸地方建設局管内の「桜づつみモデル事業」で第1号の認定を受けたことを記念して、平成元年に建てられた碑です。 |
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■波走の五輪層塔 |
| 小和田字波走にある石塔。ここは、平安時代に平家の一門城氏の開拓した地と伝えられ、城氏の墓と考えられています。昭和53年12月14日、村の文化財に指定されました。 |
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■関鉄之介潜匿記念の碑 |
| 万延元年(1860)3月、江戸幕府の大老井伊直弼が桜田門外で水戸浪士ら18人に討たれました。有名な桜田門外の変です。その指揮をとったのが関鉄之介でした。事件後、関鉄之介は追っ手を逃れあちこちに隠れていましたが、文久元年(1861)10月23日、湯沢温泉田屋に滞在中、ついに密偵の手により捕まりました。 |
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