ここだけの話 発展途上のスキーヤー

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(はじめに)
発想は自由であれ!
既成概念=こうやらなければ=誰が決めたの??
「愛と勇気」
2006.7.9 父との約束

生まれて初めて滑ったスキー場は「かもい岳」。「上歌(かみうた)」から路線バスに乗り、山の麓の「歌神(かしん)」で降り、山までスキーを担いで(もらって)歩いて登った。

そこにはリフトという便利な移動手段があった。山を見上げ、右側に「シュレップリフト」が1基あった。
(当時は巻き上げ式のケーブルではなく、太いロープの先に黒い円盤が付いていて、それを腿(お尻)にはさんで登ったので、お尻の辺りが濡れて冷たくなるのだった・・・。慣れてくると、足にはさむ前にトントンと雪を払ってから乗ることを覚える。)

このようなリフトで登っている時間が好きだ。
かもい岳にはヨーロッパ並に急斜面を上がっていく2人乗りのTバーリフトがある。
月山のTバーもいい。
それは、スキーの滑走面がフラットになっているかをチェックできるから。直滑降では怖くて感じているヒマは無いが、逆走では心を落ち着けて足裏感覚を研ぎ澄ますことができる。
乗車中のバランス取りもスキーには利く。このリフトがあると、休んでいるヒマがなくなるかもしれない。
このタイプのリフトを設置する、「スキーヤーを育てるスキー場」が増えることを密かに期待している・・・。
(チェアリフトに初めて乗ったのは「Furano:当時は北の峰スキー場」でした。)

小学2年生の時、かもい岳で講習検定会が開催されることを知った。父から参加を勧められた。
仕事の都合で父は行けなくなった。数回訪れた行程を一人で登ることになった。

知らない大人の先生にスキーを教えていただいた。
「プルークボーゲン」「シュテムクリスチャニア」「パラレルクリスチャニア」。
当時の私は友達との「デモンストレーションゲーム」のおかげで、「パラレルクリスチャニア」で滑れるようになったいた。
ただし、我流。「パラレルクリスチャニア」で滑ることができら「3級」に合格することを知った。

大人たちからは「3級」受検を勧められたが、出発の時、父から「4級」から受けてみるか、と言われていた。
きっと、4級なら合格するだろうと思っていたからだと思う。合格する、認められる喜びを感じてほしいと思っていたのだろう。

「4級を受けます。」と言って臨み、緑色の六角形の、雪の結晶の形をしたバッヂをいただいた。

仕事から戻った父にバッヂを見せたら、とても褒めてくれた。



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