ここだけの話 発展途上のスキーヤー

ここだけの話 archive 


(はじめに)
発想は自由であれ!
既成概念=こうやらなければ=誰が決めたの??
「愛と勇気」
2006.7.31 空知太スキー場(そらちぶとすきーじょう)

今から35年前のこと。歌志内市から滝川市へ引越した。炭鉱の退職者制度を利用しての転職のようだと聞いている。
父は当時45歳。この年齢での転職はさぞかし大変だったと思う。

滝川は空知川と石狩川が合流する三角州が発展した平野の町。そして我が家の周りは田んぼだらけ。
坂といえば、現在、「チョッちゃんアンティークコレクション」(黒柳朝さんが集めた西洋アンティーク600点あまりを展示)がある市民会館の「一の坂」。そこから根室本線に向かっている坂でスキーをしていた。

空知川の対岸には「空知太スキー場」がある。当時はリフトもなく、スキーができるように開墾されていた斜面。
「市報」に掲載された「講習検定会」に参加した。父が持っていた2級を受検した。種目には「横すべり」もあった。合格したら父と並ぶぞ、とワクワクしたが、合格することはできなかった。(5年生の時に合格しました。)

そして初めて「市民スキー大会」に参加した。
小学校低学年は「みかん拾い」。文字通りコース途中のみかんを拾うのだ。
中学年からは「竹のポール」を立てた「回転競技」。確かストップウォッチで3人が計測して平均を出すルールだったと記憶している。

このスキー大会は、お父さんたちが手作りで運営した大会だった。日ごろは料理を作る姿を見たこともないのに、大きな鍋で「豚汁」(ぶたじる)をお父さんたちが作ってくれた。今でも記憶があるのだから、相当インパクトがあったと思う。

お金で解決したり、批判だけして人まかせにする昨今とは違い、お金が無くても皆で知恵を出し合い、温かい大会であったと思う。これを昭和の思い出で終わらせてはいけないと思っている・・・。



▲ページの先頭へarchive目次へHOME