3.体験談 若年性パーキンソン病と仕事(退職)
高知県支部 豊永 豊久


 パーキンソン病とは振戦、無動、筋固縮、姿勢反射障害が特徴の神経性の病気で国の特定疾患に指定されている難病の一つである。初期の頃は、薬の投与で働くことも出来るが進行性の病気であり、数年経つと薬も効かなくなり最後には寝たきり状態で、肺炎等を併発して死亡するケースが多いものである。

 この病気は60歳以上の人が発病するケースが多いものである。ところで何事も若い人が重宝されるが、病気(進行性の不治の病)については若くして発病したものは、仕事を続けることが出来なくなり収入のあてが無く、直ちに生活に困ることとなる。

 私は43歳で発病したが、大学と高校に行っている子供の学費やら、家のローンの支払いやら一番お金のいる時で仕事を辞めるわけにもいかず、不自由な体に鞭打って頑張って働いたことでした。パーキンソン病と認定されてから約10年間勤めましたが、60歳の定年まで7年を残し退職することとなりました。以下、私のパーキンソン病と仕事、退職に至るまでの経緯を公表することで何かの参考になればと思い投稿することにしました。

 私は18歳から地方公務員として、県庁等でデスクワークをしていたが平成2年にパーキンソン病と診断された。パーキンソン病と認定された時点で職場に報告し、勤務を続けていたが平成11年7月になり、ストレスが溜まり仕事にも身が入らず休養しないと失敗しそうだったので主治医に相談したところ「うつ病になっているので少し休養を取ったらどうか」と言われたこと等で3ヶ月間の休養届けを提出した。この時は何事もなく休養届けが受理され3ヶ月間の休養をとり治療等に努めたが、身体の調子は改善せず、さらに6ヶ月間の休養届けを提出した。

 当時、職場が変わって数日した時に期限付きの難しい仕事が回ってき、その処理のため2ヶ月間に渉って日曜日もほとんど休まず、連日夜の11時過ぎまで残業を続けていた。早く仕事を片付けて楽になりたいと焦れば焦るほどストレスが溜まり、自分自身このような勤務を続けていると病気になると思ってのことでした。6ヶ月間の休養届けを提出したことで上司から、「パーキンソン病は進行性で、しかも現在の医学ではこれを退治することができない」と言うことである。

 人事担当課によると、治る見込みが無いのに長期に休暇をとると言うことは、地方公務員法に抵触(いわゆる首切り)する恐れがあると言っていると告げられ、暗に依願退職をするよう迫ってきました。

 そもそも病気になったのは、職場を替わった時期に身体を酷使した事が大きく影響している。公務災害になるのではないかと真剣に考える時もありました。今は不治の病とされているものの医学の進歩は目覚しく、近い内に良い薬が出来るかもしれないと期待しつつ、一方では年次有給休暇、病休さらには休職してでも病気を治して定年までは勤めたいと思って頑張っていたものである。

 しかし、病状は年々悪化し薬の効用が薄れてき、薬を呑んでから効きだすまでの2時間位と薬が切れた時は、身体の動きが緩慢になり右手、右足が振るえ、腰が痛くなり立っていることは勿論のこと、椅子に座っていることも出来なくなり、休憩室でしばらく横になっていると痛みが治まるという状態でした。

 一方、薬の効いているときは動きや腰痛はよくなりますが、薬の副作用である眠気が出て、人と話をしている時や電話の最中、さらには車の運転中や車での信号待ち、交差点内での右折信号待ち中にも寝てしまい、後続車両の運転手から叱られることも度々となってきました。

 長期休暇は許可にならないし、それかと言ってこのような状態で勤務をしていると何時なんどき取り返しのつかない事故を起こすかも知れない。一掃のこと退職したほうがいいのではないか。退職について色々考え悩んだ末、地方公務員法の28条による退職を強いられ首をきられるよりも、今の内に依願退職したほうが得策であると判断して定年(60歳)まで7年を残して直ちに退職しました。

 この時ばかりは法律に定めがあるとはいえ、職場は退職するものに対して血も涙もない本当に冷たいものであると感じたことでした。職場に通算35年2ヶ月勤め(53歳)で退職したが、年金の支給年齢(60歳)には数年あり、障害年金の請求に努めたが、「支給対象となる程の障害ではない。」とのことで退職金以外に収入の途はなく、今後どうやって生活していこうと途方に暮れたものです。当初は障害年金支給の対象にならないと言われていたものであるが、詳細な主治医作成の診断書と自分で作成した支給申し立て書を共済組合本部に送付していたところ、障害年金の2級に該当するとの通知があったものである。

 仕事が出来なくなって退職したのは平成11年7月であるが、障害年金の認定日はこの病気の初診日から1年6ヶ月を経過した日(平成2年5月)となっていた。この認定日を何時にするかによって年金の支給額が大きく違ってくるものであるが、私は認定日は仕事が出来なくなって退職する日が認定日と思っていたのである。 当然、退職日に近い日で認定して貰った方が年金の支給額の基となる給与が高く、従って年金の支給額が高くなるものであるが、これについても年金法に定めがありショックを受けたものである。上記、障害年金の支給決定と相俟って、社会保険庁からも障害基礎年金の2級に該当する。との通知を受けたものである。

 県知事から平成5年4月に特定疾患医療受給者証(黄色)の交付を受ける。身体障害者手帳発行の請求をしたく主治医に相談したが、メリットのある3級以上に該当する状態とは寝たきりに近い状態でないと認定はされない。君の場合は薬の切れた時には介助を必要とするが、薬の効いている時には自分で身の回りのことは出来る状態であり、申請しても認定されないとのことで申請について思案中である。

 『一般的に公務員は地方公務員法など法律や条例で定める事由によらなければ解雇とか処分されることはなく、身分保障がされており会社勤めのサラリーマンに比べて有利である。』と言われたりするが、労働組合を作ることを禁止されている職場や職種によっては、特別権力関係に基づく特殊な関係に堪えなければならないことがあり、不祥事の時には新聞等大きく掲載され即懲戒処分を受けることとなる。また今回の私の場合のように法律をちらつかし退職を強いられることもあり、必ずしも公務員が有利とは言えないものである。

 私たちパーキンソン病患者はこれらの法律によって、社会福祉や社会保障の恩恵を受けているが、特に若くして病気になった者は一番生活費のかかる時期に仕事を断たれ収入の途がなくなるが、現在の障害年金では生活していくのが苦しい状態である。

 そこで、人院等に備えて生命保険等に加入したく申し込みをするも、持病(パーキンソン病)がある旨を告げると契約を拒否されるものであり、健康で文化的な生活を営むには、ほど遠く年金の増額、難病者の雇用の義務化、さらには病気を退治する治療方法の研究開発に力を注いでもらいたく強く訴えるものである。

4.〆の言葉 岩越
 私たちは難病患者になりました。しかし、私たちが人として劣ったわけでは決してありません。私たちは、希望を持ち社会参加し、社会の歯車として貢献する機会が与えられるに相応しいと信じるものです。
 皆さん、リハビリと言う言葉ご存知だと思います。その意味は名誉を回復するという意味で、失った能力は潜在的に眠っている能力を呼び覚まし、失ったものを補うという事だそうです。
 元に戻すと言う意味でも医療用語でもないのです。名誉回復まさに、私たちが目指すものではないでしょうか。皆さん、失望に終わること無く、眠っている可能性に希望を持って共に歩みましょう。
 最後に、アンケートにご協力くださったお一人、お一人、今日ここに参加くださったお一人お一人に感謝して挨拶の言葉にさせて頂きます。

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