1_3.子供達も母の手助けを
 その後1年ぐらいは平穏無事とはいかずとも、小康状態が続きました。

 「こんにちは、回覧板です!」隣組の人が回覧板を持って来てくれました。普段はあんまり見ないんですが、たまたま見ると『保健所たより』があり、ふと目に付いたのがパーキンソンという字でした。そして、食い入るように読みました。それは保健所で難病相談と、パーキンソン病体操の開催のお知らせでした。早速当日保健所を訪ねました。その道々、車中で妻は「お父さん、埼玉医大にかかっているのに、なぜ保健所に行かなければいけないの」と、涙ながらに訴えました。

 「気持ちはよく分かる。しかしね、一つの病院よりも他のお医者さんに診てもらった方が、お前に合った治療があるかも知れない。またパーキンソンでなくて、もっと軽い病気かも知れないではないか。今日はいい機会だから、よく診察してもらい、これからの事も相談した方が、お前ためになると思うし、またお前に合った治療方法があるかも知れないでないか」と説得し、保健所に向かいました。

 保健所に着き、受付を済まし待合室に入って、余りにも大勢の人がいるのには驚きました。難病で苦しんでいる人が、こんなにいるとは夢にも思いませんでした。

 1時間ほど待って、やっと順番が来て「桜木さんお待ちどうさまでした」と保健婦さんの声がかかり、診察室に案内され先生を紹介して頂きました。初めは問診で、発病当時の事や、今までの症状などを細かく聞かれました。暫く診察して「間違いないです。パーキンソン病ですね。ご主人、足を見てご覧なさい。親指が上向きに異常に曲がっているでしょう。これはパーキンソン特有な症状なんですよ」「そうですか間違いないですか。先生、現在埼玉医大にご厄介になっているんですが、一向に良くならず段々と悪くなって行くみたいで。今も手が震えていますが、普段はもっと震え食事をするのも大変みたいです。先生、この震えは止まらないでしょうか」「そうですね。私の所に震えを抑える良い薬があるから、私の病院に来なさい」と言って下さったので、「えぇ是非お願いします」そして帰ろうとした時、妻の顔を見ながら突然「甲状腺が少し腫れているね」と言われたので「そうなんですよ。バセドー病とは何の関係もないんでしょうか」と尋ねたら、私の顔をじっと見て「貴方は医者になれるわ」と、なんとなく皮肉ぽく言われました。私は返す言葉を失いました。お医者さんの前では、言葉に気をつけなければならないと思いました。

 そして保健婦さんに、病院の所在地などを女房にも分かりやすく、電車の乗り継ぎなど詳しくお聞きし保健所を後にしました。

 発病して、はや5年の歳月が流れ、母とも気づまい思いをしながらでも何とかやって来ました。本来ならPTAに出席とか、レクリエーションとか、家族旅行等などで、人生の中で一番充実した時期なのに、一般家庭と異なった生活を余儀なくせざる得ませんでした。子供達には気の毒だったと今さらながら思います。

 この頃になると、子供達も妻の病状を理解出来るようになり、自分なりに親に面倒を掛けないようにする事を、自然に身に付けるようになり、妻の手助けをするようになりました。