1_1.「お父さん、右手が変なの」
 「いらっしゃいませ」妻はお店に出て、お客様にお茶を差し上げ「ラーメンひとつ」と言い、元気に働いておりました。

 父母と私達夫婦と長男(8歳)次男(5歳)の6人家族、ごく平凡な家庭で幸せに暮らしておりました。商売も順調に行き、家庭内も明るく、こんな幸せの日々が続いて良いのかと思うほど、順風満帆の日々を送っておりました。

 昭和49年12月、お店が終わり、お風呂にも入り子供も寝かしつけ、夫婦二人の時間になった時「お父さん、なんだか右手が変なの」と言い、両手を前に出し指を動かすと、右手の動きが少し変に思えたので「両手を前に出してピアノを弾くように指を動かしてみな」と言い、よく観察して見ると、左手に比べて右手が非常に動きが遅いのに気がつきました。

 その時は子育て、仕事で疲れたのだろうと思い「仕事で疲れたのだろうから、気ままにしていれば、そのうちに治るだろう」と言い、別に気にもしませんでした。しかし大晦日・正月と忙しさに加え、寒さが厳しくなると、益々動作が緩慢になりました。手の震えが出て来て、器洗いなどが思うようにならず、本人も苛立ち、精神不安定になり、日常生活にも支障を来し、愚痴をこぼすようになりました。  これは順調ではないと思い、暖かくなるのを待ち、4月初め、近くの医院に診察を受けに行きましたが「私には良く分かりませんので、埼玉医大を紹介しますから、そちらへ行って下さい」とのことで、紹介状を戴き後日行くことにしました。

 昭和50年4月中旬、埼玉医大を訪ね2時間に及ぶ精密検査を受けた結果、パーキンソン病と判明、妻に「パーキンソン病て、どんな病気なんだ」と聞いたところ「なんだかそう言われただけで、なんの事か分からない」との返事。その足で近くの医院に行き、先生に診察の結果を伝え「先生、パーキンソン病って、どんな病気ですか」と率直にお聞きしたところ「パーキンソン病か、そうだろと思った。それは大変だ」と暫く黙っておられたが「はっきり言った方が良いだろうね。これは難病で、脳の中の運動を司る所が侵されており、主に手足の震えが段々強くなり、筋肉が固くなり歩行困難になる病気で治療方法がないため、いずれは寝たっきりになるかも知れないが、今の医学は非常に進んでいるので、必ず良い薬が出来るから、希望を持って治療に勤めなさい」と言われました。言葉を返す事が出来ず、先生の目を見ているだけで体が熱くなり、頭がボーとして暫くの間は何を言われたのか理解出来ませんでした。

 家に帰り、妻に何と説明しようかと迷ったが、ショックを与えないように、ありのままに正直に「先生が言ってたが、あまり悲観する事はないって。この病気の薬は凄く研究されていて、良い薬が次から次と出ているから、それほど心配する病気ではないそうだ。だから、あまり気にしない方がいいよ」と言って妻を励まし、その後は病気の事は口には出さず、病状を見守る事にしました。

 次の週、埼玉医大に診察の予約をしてあったので、病院に出向きました。自宅から車で約40分ぐらいかかり、近辺では一番大きい病院です。午前9時ごろ着きましたが、駐車場が一杯で、やっとの思いで車を納め、妻に「気を付けて行っておいで」と言うと、妻は不安げに病院に入って行きました。車の中で待っているのは非常に退屈で、ラジオを聞いたり本を読んだりしていましたが、陽気が良いのでつい、うとうとしてしまいました。突然、車の窓ガラスをトントンと叩く音で目が覚め、ふと見ると妻が微笑みを浮かべて立っていました。

 病院を後にし、一路自宅に向かう車中で「お父さん、私の病気は若年発病者で、ごく珍しく、普通は4、50歳代で発病する人が多いんだって。でも私の場合、非常に軽いから薬を飲んでおれば大丈夫だって。それから診察は3ヶ月に1度来ればよく、薬は掛かり付けのお医者で貰いなさいって。」妻は病気が軽いと言われ、精神的にも楽になったのだろう。言葉も弾み笑みを浮かべ暫くはおしゃべりが続き、今までにない一面を見せていました。その後、3年ぐらいは動作が少し遅いぐらいで、平穏無事に家族ぐるみで仕事に励んでいました。

 昭和53年の11月ごろから、右手の震えが、段々と強くなり、仕事どころか食事も出来ないほど震えが酷くなってきました。食事時などは左手に茶碗、右手に箸を持つと、歌の詩ではないが「小皿叩いてチャンチキおけさ」と歌いたくなるような強い震えが出るようになりました。

 妻をよくからかうのですが、食堂を経営しているので、玉子をよく使います。器に玉子を割って入れた時「そんなに震えるなら箸を入れとくだけで、玉子が解けてしまうだろう」また歯を磨く時も「歯ブラシを口に入れるだけで、歯が磨けて世話ないね」などと言って笑わす事もしばしばありましたが、時がたつにつれて、冗談も妻には段々と通用しなくなりました。笑顔がなくなり何事もひねくれて考えるようになり、沈みがちにもなり、日増しに本来の明るさが消えて行きました。これではどうしようもないので、医師に、自分が直接相談し、薬を変えて貰いましたが、一向に良くなりませんでした。