1_8.父は静かに天国へ逝った
 何時ものように父の尿道を消毒し、体を拭き食事をさせたところ、一口二口と口に入れて急に吐いてしまいました。「おじいさん気分悪い?」と聞いたら「気持ちが悪い。もういいや」と言い食べようともしませんでした。「お水でも持ってこようか」「何も要らない」と言うので、そっと寝かし様子を見る事にしました。

 10時頃様子を見に行くと、スヤスヤ寝ているので安心して厨房に入り、仕事が一段落したので「おじいさん、気分どうだい」と尋ねたら自分の方を見て何も言わない。様子が変だと思い額に手を当てて見たら、異常に熱いので、これは放って置けないと思い、病院に連絡したら「すぐ連れて来なさい」との事で、急いで病院に連れて行きました。

 ところが、なかなか診察をしてくれないので看護婦さんに「先生がすぐ連れて来いと言うから急いで来たのだから早く診て下さい」と頼んだら「今混んでいるので、もう少しお待ち下さい」と言うので暫く待っていたら、近くを通った看護婦さんが父の鼻に手を当て無神経に「まだ生きてるのね」と言って通り過ぎて行きました。この言葉を聞いた時、何と無神経な看護婦だと思い、一言文句を言ってやろうかと思いましたが、大勢の患者さんに迷惑を掛けてはと思い止まりましたが、腹の中は煮え返る思いでした。白衣の天使と皆から尊敬・慕われている人の言葉だろうか。この言葉は胸に焼きつき一生忘れる事はないでしょう。

 暫くして診察室に入りました。先生がちょっと診て「集中治療室へ連れて行きなさい」と看護婦さんに言い、寝台車に乗せられ、そちらに向かいました。暫くして先生に呼ばれた。「急性肺炎ですね。残念ですが、覚悟しておいて下さい」「そんなに悪いんですか」「そうね、長くても一月(ひとつき)ぐらいでしょうね」と言われ、急に涙が出て来て止まらなくなりました。その時先生が「奇麗なおじいさんだね。床擦れもないし、顔も奇麗だし、良く面倒をみたんですね」と感心したように言われました。その言葉を聞き、私は救われた思いがしました。若しもの事があっても致し方ないと、自分に言い聞かせました。「自分なりに精一杯の事をしたのだから、悔いはない」と。

 明くる日から午前と午後、病院に様子を見に行ったが、これといって変わりはなく、少し長く入院しそうなので家族会議の末、兄弟皆で交代で見守ることにしました。

 そして26日の午後、病院から「父が急変したのですぐ来て下さい」と電話があり、急いで病院に駆けつけると、父は目を開き両手を上げ、何か捜しているようでした。看護婦さんが「今、宙をさ迷っているの。天国に着いたら静かになるから」と言い残し、病室を出て行きました。1時間もしたでしょうか、手がフーと下がったら静かに息を引き取りました。何故か涙は余り出ませんでした。(昭和62年7月26日歿、享年80歳でした)。

 病院の車で家へ帰り通夜・お葬式と慌ただしく無事に済ませました。妻は邪魔なので2階に連れて行き、主に次男が面倒を見ていたようですが、この一月(ひとつき)は父の事で頭が一杯で、妻の事は余り記憶がありません。初七日もすみ、兄弟も皆帰り元の生活に戻りましたが、暫くの間はおじいさんが何時も側にいるような錯覚をしばしば覚えました。また仏壇に目を閉じて手を合わせると、今までの事が走馬灯のように過り、涙がとめどなく流れ、暫く身動き出来なかった日が度々ありました。