5_5.組合員と「おかあちゃん談義」
 今日は組合の重要な会議です。毎度の事ながら夜出かける時は、7時に食事をさせ、7時半に寝かしてしまいます。そうして置けば、幾ら遅くなっても安心して外出出来ます。最近は私に世話を掛けず、気分の良い時には自分で布団を敷くようにもなり、寝かして貰うのを待つようにもなりました。

 会議も終わり、帰りに一杯やろうという事で、友達の小料理屋へ行き飲んでいました。閉店時間が近くなり、他のお客は皆帰り、私達だけになり、ママが「組合長さん、奥さんの具合はどうなの」と聞きました。私も大分良い気持ちになり、口数が多くなり始めました。「最近はわりと調子が良いですけれど、発病して22年でしょう。良くなったり、悪くなったり、もう生活の一部になっているから、余り気にしないようにしている」ママ「そうなんだ。22年にもなるんだ。噂を聞くと、両親を凄く良く面倒をみたらしいじゃない。それに奥さんをみるなんて大変だわね」主人「組合長だから出来たんだ。何て言ったって、面倒見が良いもんな。組合なんか皆おんぶにだっこで、組合長が一人で組合を支えているようなものだ」「そんな事はない。おだてても何も出ないよ。ママこっちに来て仲間に入らない?」「そうね、もういいかな。さっき調子が良いと言ってたけど、お店手伝っているの?」「仕事が出来れば豪儀だ。身の回りの事がやっと出来るぐらいかな。手が自由にならないから着替えはやってやるよ。今日も出がけに寝かせて来たの」と、今までの事をかいつまんで話しました。

 ママ「でも良く面倒をみるよね。私が倒れたら私(うち)のお父さんは面倒みてくれるかしら」と目にいっぱい涙を浮かべました。少し涙声で「組合長さんは、何時もニコニコしているから、そんな苦労をしているようには見えない。奥さん幸せだよね」「今はね。一時は妻さえいなければと思って、絞め殺してやろうかと、本気半分、冗談半分で妻の首に手を当てた事があったよ。そしたらね"痛くないように絞めてね"なんて言われちゃってさ。良く看病つかれで無理心中したという新聞記事を見るけど、その気持ち良くわかる。それからね。俺が苦しいよりも、本人の方がもっともっと苦しんでいると思ったの。マスターよ、若しママが倒れて寝たっきりになったらどうする」「おかあちゃんが倒れたら、即閉店だな。俺、何も出来ねぇもん」「我々の業種は皆そうだと思うよ。何たって、おかあちゃんが主力だからな」ママ「おとうさん、それだったらもう少し気を遣ってよ。もう、こき使っているんだから」と、話は尽きません。

 私は「それでね、逆の発想とでも言うのかな。今のところ歩いたり、這ったりして何とか動いているけど、若し寝たっきりになったら、もっと大変。だからね、自分のために大事にしているの。普段気を付けてみていれば、寝たっきりになるのが一日でも二日でも遅くなり、上手く行けば寝たっきりにならないのではないかと思った。妻のためでなく、自分のためにやるんだと考えを変えたの」と、心のうちを明かしました。  マスターが「組合長は優しいから出来るんだよ。俺達にはそこまで出来ないぜ」と言うと、それまで黙って聞いていたH君が「組合長、黙って話を聞いていたが感動した。俺の所も、おかあちゃんが倒れたら、すぐ商売をやめちゃうよな。何て言ったって、おかあちゃんあっての商売だからな。組合長、組合長の生きざまを本にしたら、結構反響があるんじゃない?。これだけの事をやってのける人はまず少ない。組合員を集めて講演でもしてもらいたい」「いやあ、そんな事をやったら笑われちゃうよ。俺は無学だし、そんな事をしたら恥の上塗りだよ」と、軽く聞き流しました。

 大分遅くなったので、「今日は大分酒が入った。少し喋り過ぎたかな」ママ「そんな事ないよ。何時もしっかりしているから大丈夫よ。今日は良い話を聞かせて貰って良かったわ」。私は胸の中にモヤモヤ溜まっているものを、一気に吐き出したような気がしました。「今日は凄く気分が良い。ここに来ると何か気持ちが落ち着く。大分長居しちゃった。お開きにしようか」。とうとう12時を回ってしまったので解散しました。妻を早く寝かしたので、帰って、おむつを取り替え、朝までぐっすり寝ました。