5_6.私の誕生祝いとプレゼントの事
 平成8年3月1日。リリリン電話が鳴り響いた。「ハイさくら家です」「おとうさん、今日夕飯食べに行って良い?」と長男。「ああ良いよ」「じゃあね、7時までに行く」「分かった。じゃ待っている」あぁそうだ。今日は俺の誕生日だ。何か作らなければと、急いで献立を考え、仕事をしながら料理を作り、お店を早仕舞いし、子供達の来るのを待ちました。子供と言うより孫が来るからと言った方が良いのでしょうか。心待ちに、そわそわしていると、妻に「少し落ち着いたら。もう来るから座ったら」なんて言われてしまいました。

 「ほら、着いたよ」と3人でやって来ました。すぐにも立って行こうと思ったが、じーっと堪え、上がって来るのを待っていた。「今晩は。お邪魔します」「ハイどうぞ」と言い、小春(孫)を抱き上げ、もう他の事は眼中にない。「俺は後で良いから、先に飲み始めてな」と言い、しばし小春と遊んでいたが、疲れてしまったので一休み。孫と遊んで楽しんでいる私を見て、少し寂しくなったのでしょうか、妻が「小春、小春」と言って、何とか自分の方に来させようとするが、全く見向きもしない。私一人で楽しんでいては、妻が可哀想だと思い、抱かせてやっても、すぐ離れてしまう、少し可哀想だとは思うが致し方ない。「さて、一杯やるか」と若い者に入り飲み始めました。

 嫁が「おとうさん、お誕生日おめでとう」と言ってお祝い品を出した。「悪いね、気を遣わしてしまって。どうもありがとう」。我々の時代は後でこっそり開けたものだが、最近はすぐ開けるのが礼儀だと言われ、すぐ開けた。柄の良いかぶりのシャツでした。私は着る物は無頓着で、何時も同じような物を着ているのに気が付きプレゼントしてくれたのだろう。「どうもありがとう。着てみるかな」と着てみたらぴったり。「これは良いわ」「良かった。おとうさん良く似合うよ」。私達親子は同じ趣味を持ち、酒が入ると話に花が咲き、酔うほどに益々話が盛り上がりました。

 私は今日、妻に非常に良いプレゼントを貰ったような気がします。最近は、私に余り世話を焼かせず、気持ちの良い時は厨房に入り、皿洗いを手伝います。邪魔ではあるが気ままにやらせています。また顔色も良く、冗談も言えるようになり、笑顔が非常に多くなって来ました。私にとっては、その笑顔が最高のプレゼントです。

 プレゼントで思い出したが、私が25歳の時、妻と付き合い出して、半年ぐらいたった時の事です。手作りのスカートをプレゼントしました。妻に「お前にスカートをやった事があるが、あれどうした?」「まだ持ってるよ。タンスに仕舞ってある」。嫁が「お父さん、洋裁もやってたんだ。何でも出来るのね。私なんか何も出来ない。手作りのスカートをプレゼントしたなんて信じられない」「おばー(妻)と付き合い始めた頃ね、洋裁を習う工程の一つとしてスカートを作る事になったの。ただ、目的もなく作るのは面白くないから、妻に合わせて作ったの。それが妻にやった初めてのプレゼントだったんだな」「心のこもった贈り物ですよね。おかあさん幸せ」と、話ははずみました。

 小春は眠くなったのか、少しご機嫌が悪くなりました。嫁が「少し眠くなって来たみたい。そろそろ帰ろうか」と言ったら、小春(1歳3ヶ月)は自分の上着を持って「あっち、あっち」と玄関の方を指差しました。話の雰囲気で分かるようだ。「どうもご馳走様でした。おかあさん大事にしてね」「じゃ、また来るね」と皆帰って行きました。妻も少しではあるが、孫と遊んだ事でご機嫌が良かった。後片付けをし、妻を寝かし付け、落ち着いた所で改めて晩酌を始めました。

 私には大きな夢があります。私の家庭の事情を知らない人は笑うかも知れない。それは妻の手作り料理を、上げ膳、据え膳で後片付けの心配もせず、心ゆくまで晩酌をし、ごろっと横になって、ゆっくりしてみたい事です。

 訃報の連絡があった。同業者の友達である。急いでお悔やみに行った。肝臓を患い暫く入院していたが、急変し、あっと言う間に逝ってしまったそうです。商売が忙しく、過労と酒の飲み過ぎだろうと皆が言っていました。夕食時に「友達が過労で倒れ、酒の飲み過ぎで、52歳で死んじゃったよ。若し俺が先に死んだら、お前どうする」と言うと、妻は黙って涙ぐんでいました。

 「子供達には子供達の生活があるから、迷惑を掛けたくない。俺みたいな体の丈夫なのは、何時ポックリ逝くか分からん。その時は俺にはどうしようもない。若し俺が病気になり、余命幾許もないと分かったら、お前を絞め殺しても、一緒に連れて行く。これは大事な事だから」そこまで言ったら、私も涙が出て来ました。妻は口をへの字に曲げ、すすり泣いていました。「いいか心の隅に仕舞っとけ。おまえが先に逝くぶんには良いが、俺が先に逝きそうだったら、お前は俺に付いてこい。抱いてでも一緒に連れて逝ってやる。このことは良く覚えておけ」妻はただ涙を流すだけでした。「よし、こんな話はこれで終わり」と、テレビのバラエティ番組を見ながら平常心に戻しました。

 私達夫婦にとって、喜びも、悲しみも、苦しみも、まだまだ続く事でしょうが、精一杯、心おおらかに、過ごして行きたいと思った事でした。