ここだけの話 発展途上のスキーヤー

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(はじめに)

発想は自由であれ!
既成概念=こうやらなければ=誰が決めたの??
「愛と勇気」





検定とは?

資格検定には定員がありません。全員合格しても良いのです。
検定当日において先生になっている人に認定証が渡される会」だと私は思うのです。

「受検生」として臨んでいませんか??(だから来年も受検してくださいとなるのでしょうか・・・)



目標設定?
各種目75点が合格です。
ここで目標を「75点」に設定していませんか??
緊張してうまく動けなくて、だから74点とか73点とかが出てしまうのですね。

私が受検していた時は「各種目+5点以上」を取ることを目標に取り組みました。そうすれば少しくらい失敗しても余裕で合格点が出るはずです。どういう滑りをしたらそういう点が出るかとイメージできれば良いのですが・・・。
でも本当にやりたいことってこれですよね。

75点を目標にすることは間違っています。80点以上を目標にしなければ、意味がありません。
1級の前走として滑ることができますか?



以下、小回りのヒントのつもりです。

1)山まわり
 中斜面で、板をフォールライン(下)に向けた所から山まわりの部分のみ、きっちりと滑る。
他の部分は無視。右ターンの膨らみの端から山まわり、左ターンの膨らみの端から山まわり。
とにかく、山まわりのみきっちり滑ることを考えます。

下から見た場合、この部分がきっちりしていると悪い評価を出しづらい。=うまく見えてしまう。

図1


2)コブ

コブってどうやってできますか?誰かがスコップで山を作るのでしょうか?
違いますよね。スキーヤーが回転することで彫れていくことでできるのですよね。

滑っている時に、コブを上って降りるというリズムで(「山」と感じて)滑っていませんか?
だからターンとターンのつなぎ目で「待つ」という時間ができてしまい、流れが途切れてしまいます。

スタートも山まわりからスタートしていますよね。山まわり谷まわりを途切れなく続けて、休憩。
これは講習中にも解説したところです。整地から練習してください。
そして、コブに入ります。

コブの山の頂点をつないだ面を考えます。(プチプチシートみたいに)
これがもともとの斜度です。ターンの基準は板をフォールラインに向けた所。
そして、コブを「降りて元に戻る」(下がって上がる)(「谷」と感じて)というリズムを考えます。

するとどうでしょうか?
基準のバランスに戻ってくることでしょう。
だからバランスが崩れないのです。






神下さん提供の2004年問題用紙はこちらから

2006年問題用紙はこちらから



2006.3.4〜3.5

 久々にプライベートの時間が取れたので、仲間たちと菅平で練習してきました。
多くの方々が練習していましたね。私は高速大回りをトレーニング中です。スピードを出すと体がフリーズしてしまいます。
(不完全燃焼で消えかけていた火がメラメラと・・・)

技術を磨くには「技:わざ」と「術:じゅつ」の両輪が必要と思います。
技:道具のあやつり方、リズムとタイミング、見ている者に訴える感動・・・
術:演技をする時の滑り手の意識、技を実現させるための作戦・・・

を学ぼうとする人は少なくなりましたね。先人のノウハウを埋没させるのはもったいないことです。新しい理論や考え方は賛成ですが、過去を否定することは許せません。

スキーが登場してから全然変わっていないこと、
1)斜面の上から下に滑ること(回ることに懸命になっていませんか?落下が第一です。)
2)右ターンの次に左ターンをすること(どの方向に切り替えのラインを取っていきますか?)

斜面上を円運動しながら落下していくこと=自然の地形に対応する姿、ポジショニング、股関節のひねり運動・・・これが出来ていない人が多い。道具を使う技とともに、それを操る人のバランス力、だったり、関節・筋肉の柔軟性だったり・・・、様式美と言われても構わない。運動した結果として全身のシルエットがどう見えるか?といったことが評価になるのは、今も昔もかわらないのに・・・。


今週末は全員合格をお祈りしております。素敵な先生になってくださいね・・・。


▲ Click here



2006.3.29
野沢温泉サンアントンにて

これは、トリノオリンピックに出場する選手の活動資金をサポートしたいとの熱い想いからナショナルデモンストレーターたちが立ち上げたラバーバンド。

< 参考までにSAJサイトはこちらから >




技術選決勝の朝に切れてしまった「佐藤久哉」くんのもの。
本人曰く 「あぁ、切れてしまった。。。どうしよう。。。」
めちゃめちゃヘコンデしまったとのこと。

同室の海野くん「これミサンガと同じで、願いがかなうよ!きっとかなうよ!。。。」

そんな励ましがあり、決勝終了後の結果は2位と1点差。
単に「チャンピオンになりたい」のではなく、ALPINE SKI の将来・・・、競技も基礎もなく、アルペンスキーの理論は一緒のはず・・・、そう思っていた私と同じ考えだったのですね。その活躍を推し進めるためのチャンピオンの称号・・・。

一所懸命になるところに、ドラマがあるのですね。。。とっても心が温まった一日でした。一杯話して、ボトルが空になったのは言うまでもありません。。。
▲ Click here ( au W31T )

私ももう1期頑張ってみようかな。。。





2006.4.22
志賀高原熊の湯スキー場

技術員有志による渡辺一樹トレーニングに参加してきました。

当日の写真とビデオはプロカメラマンの鈴木浩さんに撮っていただきました。
ありがとうございました。(表紙に使用させていただきました。)


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2006.5.6
天元台スキー場〜喜多方へ
(コブの中を滑っていた佐藤正人さんは、やっぱりうまかった・・・。)
▲ Click here
喜多方市役所隣り、坂内食堂がお気に入りです。




2006.5.7

 色々な方々からアドバイスをいただき、3月上旬までフリーズしていた感覚もやわらぎ、今までにない感覚を確認できました。たまっていたDVDなども見る機会があり、「古の武術」に関するものは現在のスポーツにも応用できるものと感じています。

そこで、スキーの場合、右ターンの次に左ターンをしなければならないので、体の位置を入れ替えるのですが、ここでスキーヤーが何を思っているか(イメージしているか)が大事だと思うのです。

図にしてみました。(とりあえず、平面上で考えましょう。)



1 → 2 へ動くとき、足元を固定した状態で腰を内側へ移動するとします。
1 → 3 へ動くとき、上記の腰を内側へ移動する動き+足場を横へ移動するとします。

比較してみると、「1 → 3」へ動いた方が、より短時間に大きく移動できることがわかります。


滑走中のスキーヤー感覚で言うと、「内足(脛)を外側にスイングするよう」=「内足の股関節の真下に位置する内足を、外足の股関節の真下へ移動させるよう」な感じです。


私の場合、上手な左ターンは無意識で「1 → 3」の動きをしていました。不得意な右ターンは「1 → 2」の動きをしてフリーズしていたみたいです。そのため左右の不均等が現れていました。この内足のスイング感覚を意識することで、ターンポジションが改善されてきたみたいです。
(ターン前半に、足が長〜く、足場が離れて見えるようです。)


あと2〜3回、奥只見や月山で、2007シーズン仕様に仕上げていこうと思っています。
(誰かビデオ撮影手伝ってくれないかな??)





2006.5.12
スキーの基本はシュテムターンでしょ!

 最近アルペンスキーコーチのブログなどを見ていますと、ジュニア選手が「ズレ(ターン前半)のスキーが出来ない」との嘆きを多くみかけます。GWに見直したDVDの一つに佐々木明くんの2003年シーズンオフのキャンプ画像がありました。「ワールドカップに出ている選手でも体を常に谷に向けて、ズレの多い滑りでゆっくり滑る練習を沢山します。ましてや基本を身に着ける時期のジュニアの選手こそ、多く練習してください。」という明くんのコメントと見本の滑りでした。

 道具が進化しても、単純に、山から谷へ(スタートからゴールまで)速く移動することが出来た人が上手だと思うのです。速く落ちるためには体は常に谷を向いていなければならないと思うのです。スピードが速いとフリーズしてしまうのが普通ですから、ゆっくりとしたスピードから練習する訳ですね。

だからシュテムターンでしょ!
切り替えで外スキーを動かします(体から離します)から、外スキーを視点にしたターンポジションもばっちり、理想的にきまりますよね!パラレルターンの場合、体を移動して同じポジションにはまるのが難しいのですね。最近シュテムターンをしている人は見かけません。資格検定の種目に「不整地でのシュテムターン」があります。プライズ検定では「不整地でのパラレルターン」になります。=指導するためにある=練習するためにある=スピードの次元を下げて同じ要素をトレーニングするって考えるのは、私だけ(?)・・・。



2006.5.13
奥只見丸山スキー場へ(auの電話は圏外です。どうにかしてよKDDIさん!)

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(1)国道290号線で栃尾〜山古志の入り口を通り、守門へでます。このルートは2004年の水害と地震により道路が崩落したため、山側を削り迂回路の交互通行が数箇所あります。

(2)楽しそうなオレンジバンダナチーム。オフ会のように拝見しました。

(3)ぶな平ヒュッテ横でもコブはそんなに大きくありませんでした。
第1リフトは営業終了まで整地のトレーニングができました。(雪はまだまだあります。)

(4)改善の兆しが見えつつある右ターン。
ビデオをコマ送りで見ていますと、切り替えに「難あり」と出ました。(これから改善に取り組みですね!はたして2007シーズンまでに間に合うか・・・。)

今日は25班のK.Mさんに撮影していただきました。ありがとうございました。



2006.5.15
皆川賢太郎

今日お昼に加治川の道の駅でごはん(かつ丼セット)を食べながら、雑誌をペラペラめくっていたら、皆川賢太郎くんのインタビュー記事がありました。

(記者)10年後もスキーをやっていると思いますか?

(賢)「やっていたいですね、競技は。モチベーションを持ち続けられればですけどね。
それと僕はアルペンですが、基礎スキー、あれは日本独特のシステムだと思うんですけど、僕がやっている間に、例えば通算シリーズにして全国を転戦するとかになって、もっとメジャーにして、文化として基礎スキーを育てていければいいなって考えています。」

新潟日報事業社
新潟の生活情報誌CARREL(キャレル)2006年5月号 VOL.145 p41より


あらら、数年前から私が言っていることと同じじゃないですか・・・。
(SATのシニア技術選のシリーズ化は実現できましたけど・・・。)
とりあえず、新潟県の下越エリアのスキー場転戦シリーズを実現したいな・・・。


皆川賢太郎のブログ http://ameblo.jp/kentaro1up/
チームアルビレックス新潟 http://www.team-albirex.com/



2006.5.16
IQサプリ(?)

ここに2本のマッチ棒があります。その2本を・・・。



(この2本で脚をイメージするなんて、ほとんどビョーキですね・・・。)

さて、
(1)重心位置を高くしておいて大腿部を捻ると、「ひっくり返した竹トンボ」を回すような動きになります。ゆっくりしたスピードで滑るときに使えそうですね。

(2)重心位置を低くしておいて大腿部を捻ると、「脛がスイング」するような動きになります。ハイスピードで滑るときに使えそうですね。


同じ大腿部を捻る動きでも、重心位置が違うと結果も違ってきます。


あなたはどのくらいのスピードでどっちを使います??




2006.5.20
奥只見丸山スキー場へ

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今朝は大雨でしたが、昼からの降水確率が低いことから、到着する頃は雨があがるだろうという見込みででかけました。これがズバリ的中!10:00〜14:00まで雨にも当たらず、空いている第1リフトの整地コースで大回りのトレーニング。本日お供いただきましたのは、スクール仲間のT.Y氏。

佐々木明くんの低速トレーニングやシュテムターン(シュテムクリスチャニア?)を練習。
ハイスピードでの舵取りポジショニングのトレーニング。
ハイスピードでの切り替えのトレーニング。
Y氏も今シーズン最高の感触と大満足!(もう1回月山で滑りましょうということに・・・。)
奥只見は来週で営業終了なので、来週末も行っちゃいます。

味平ラーメン (年4・5回は訪れます)
新潟県魚沼市東町2 0257-92-5405




2006.5.21
足首曲げ伸ばしの弊害


足首を曲げる=ブーツのタング(ベロ)に脛を当てて前方へ強く力をかける、と足首が曲がります。

昔から「雪面から近い関節から動かせ」と言われてきたものです。私の信条である「発想は自由」ということで、整理してみますと、この動きは次の時に使えそうです。
(1)スピードがそんなに出ていない時、
(2)スピードがでないように調整する時、
(3)滑走中のバランス取りがうまくできない初・中級スキーヤーが脚の各関節を曲げることで股関節の回旋を誘発して、角付けの強弱を身につける学習をしている時、

など・・(決して昔のことを否定的に捉えてはいけないと思うのです。)


さて、ハイスピードの状況ではどうでしょうか?
良く見かけるのが、ターン外側の足首を曲げ過ぎることで、
= スキーの前方に必要以上に荷重がかかります
= スキーにブレーキがかかります(減速します)
= テールが軽くなります(スキーがブレます)

そして、現象としては、
(1)外スキーが遅れますから、内スキーの滑走性に負けて両スキーの先が開きます。
(2)ターンの後半で外足がおいてけぼりになったり、スキー板が波打ったりするような症状がでます。

スムースに滑走性が良いターンができなくなってしまいますね。=思いと結果が違ってしまう。
そういえば、ステンマルク選手が現役時代の頃のスキー雑誌に、「トップ選手には足首が伸びた高い姿勢が見られる・・・。」と誰かの取材記事に書いてあったことを思い出しました。(昔も今も変わらないか・・・。)

サスペンションシステムが、「板バネ式」から「ウィッシュボーン式」に進化するような感じ(?)
乗り心地が良くなるのでしょうね。
さて、足首曲げないで滑ってみますか!

2006.5.21 皆川賢太郎スーパーGの練習始める・・・。



2006.5.25
丸い回転弧の亡霊(?)

「切り替えに難アリ」について色々思い描いていました。切り替え時に角付けをうまくはずせないのです。そのくせ、上体は切り替えの勢いで谷へ移動しますから、膝関節に相当負担がかかることになります。靭帯を断裂するなどのケガが増えていることは確かです。(私の知っている人でも数えられること自体が異常です・・・。)

さて、ターンの後半部分で何を考えているか?ということを整理する作業になるわけですが、思い返すと、山回りの部分(時間)が結構長いことに気付きます。延々と回り続けるような(そんなことはありえないのですが)、そんな錯覚があります。そして途中で我に帰って「切り替えなくちゃ!」ってことで動作するのでしょうね・・・。


昔々、「丸い回転弧を描く」なんてことを聞いた覚えがあります。忘れていましたが、今回の思考で思い出しました。つまり、上体は谷(斜め前方)へ直線的に移動するのに対し、スキー板が慣性の法則で回転を続けるのですね。そして最後の部分でも回転を続けるので、「丸い回転弧」に仕上がってしまうようです。これが角付けがはずれない原因でしょうか?
ってことは、勢いにまかせて(フリーズして)何も考えていない!ってことが証明されてしまいました。(あれっ!そんな!)

「舵取り(ターン)ポジションに注意すること」に主眼を置きすぎていたようですね。「一所懸命にやりすぎると大変なことになりますよ!」(たけし風な言い方で)。


上体の移動方向とスキーの向きを合わせた方がいいですね。回り過ぎないように方向性を合わすことを強くイメージしてみます。それと、前回の写真を参考に見てください。右ストックのリングを前に出して、タイミングを見計らうように待ってしまっています。つまり、フリーズしているのです。ストックのリングを体より前に出しすぎるのも禁物のようですね(ハイスピードでは)。角付けする回数分だけ、角付けをはずすこともしているはずなのに・・・。角付けする練習するくせに、はずす練習しないのはなんでだろう・・・。

次回は滑走スピードを抑えて、「回転(ターンポジション)」→「直進(切り替え)」・・・。特に切り替えを始めるタイミングを早めに取ることに注意してみたいと思います。回転→直進→回転→直進・・・を繰り返すと、ハート型の回転弧になりそうですね、美樹さん!



2006.5.26
星瑞枝選手けがした模様です(心配・・・)

発展途上のスキーヤーが応援している星瑞枝選手、スーパーGのトレーニング中に怪我したみたいです。心配です・・・。早い回復と現場復帰まで応援しています・・・。

星瑞枝ファン



2006.5.27
奥只見スキー場へ

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今シーズン最後の奥只見紀行です。本日は友人Wさんと。かぐらスキー場のゴンドラが強風で運転していないそうで、そちら方面から移動されてきた方もいたのでしょうね。(駐車場で偶然出会った友人Kさんからのコメントです。)車が一杯で第3駐車場へ。まだまだ雪がいっぱい有るのに明日で営業終了とはもったいないですね・・・。ゲレンデで25班の班長さんと遭遇しました。

前回まではデジカメ(CASIO EX-Z600)の動画で撮影していたのですが、本日はデジタルムービーカメラ(SANYO DMX-HD1)にて撮影。光学10倍、デジタル100倍のズームは慣れるまで難しいです・・・。デジタルビデオ+パソコンにての映像分析は理解も100倍ですね。さらに、動画から連続静止画を自動作成するASICSのデジタルモーションが使えそうなので現在問い合わせています。(どなたかご利用中の方いらっしゃいましたら、操作感など教えてください・・・。

やはり、ハート型の回転弧をイメージすると動きやすくなります・・・。
少しずつ改善の兆しがありますが・・・。

これにて新潟県での滑り納めとなりました。次回は月山にて撮影トレーニングです。



2006.5.30
アスリートの底力

昨年地元の指導者会が主催したとても勉強になった講習会に参加した折、高校で競技スキー部の面倒を見ている先生がある選手の活動資金として「カンパ」を募られている姿に感銘し、些少な額ではありましたが、カンパという行為をさせていただきました。

その選手から、「カンパありがとうございました」の内容のお礼状を以前いただいてはおりましたが、先日、「ご支援ありがとうございました」のお礼状がシーズン終了とともに届いておりました。多分ご両親に「出しなさい」と言われてとは思いますが、しっかりと自分の字で書かれた言葉と、大きな大会で優勝した時の写真と・・・、感謝する心の表現の仕方に感動した次第です。


トリノオリンピックをテレビで観戦して、各選手の試合前のインタビューやその成績など、前々から感じていたのですが、荒川静香選手の金メダルに納得していました。

競技技術の技量が均衡した選手の集団であっても、優劣がつきます。その差は何でしょうか?
発展途上のスキーヤーは考えます。その分岐点ってその人がもっている「人間力」だと。これはオリンピックなどの国際大会が証明しているような気がしています。

子ども達に学んでもらうのは、競技技術だけではなく、アスリートとして(人間として)生きていくために正しいことは何かというような、心の発達にも指導者は目を向けなければいけない、と思うのです。争い事は好きではありません。自分と向き合うことが実践できるから「スキー」が好きなんですね、私。


発展途上のスキーヤーが応援している星瑞枝選手が帰国しました。しっかりとリハビリしていただき、今まで以上の活躍を祈念しております。同県の賢太郎くんに続け〜っ!
星瑞枝ファン


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2006.6.2
表情(?)

春スキーは撮影トレーニングに明け暮れた訳ですが、撮影した画像をパソコンでコマ送りにし、反省しながら見ている次第です。そこで気が付くのですが、トップ選手と明らかに違うところがありました。

それは、顔の表情です。

トップ選手は常にその場の次を読みながら(専門用語でフィードフォワード)、目線も次のフィールドに注がれています。それに対し、発展途上のスキーヤーは、「うわっ!しまった!」とか「やばい!どうしよう!」とかの意識(専門用語でフィードバック)が顔の表情にも現れてきて・・・、そう、歪んだ表情をしてしまっているのです(あ〜っ!はずかしい・・・)。

「うわっ!しまった!」と思う感覚があったとしても、次の動作を続けて、失敗を最小限に食い止めるには、「顔の表情、重要っす!」、「とっても重要っす!」。何事もなかったかのような、男のダンディズム・・・。

そんな所も指摘ができるデジタルな画像です。次回は「無」の境地に入りながら、ニコヤカにできれば滑りの本質も変わってくることでしょう・・・。やっぱり、月山でトレーニングでしょうか・・・?
(晴れてね・・・)



2006.6.4
月山スキー場へ

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やっぱり月山へ行ってきました。聞いてはいましたが、雪はまだまだ一杯あります。リフトには板をつけて乗ります=リフト降り場にも雪があるのです。(こんなのは初めて・・・)
大好きな沢コースにも雪が沢山あり、終日大回りのトレーニングでした。切り替えも改善の兆しが・・・。
(今日はニコヤカな表情で撮れたみたいです・・・。)


リフト降り場脇で写真を撮ってみました。高山の小さな小さな花が可憐に咲いていましたので、ついつい・・・。
でも、写真を撮るからと1歩2歩踏みしめると、足元にも小さな花たちが・・・。
月山スキー場は国立公園内にあります。自然はみんなのものです。大切にしたいですね。
▲ Click here
ブナ林の散策や自然観察もしたい方はこちらがおすすめ!
山形県立自然博物園(志津から月山へ上がる道に入ってから左側にあります。)
 住所 〒990-0734 山形県西村山郡西川町大字志津字姥ヶ岳159
 電話 0237−75−2010 9:30集合で約2時間、無料で説明などを受けられるそうです。
2時間自然観察してから、午後券で滑ると本数も一杯滑れそうですね、特に日曜日は・・・。



2006.6.7
私以外はみんな指導者

ここ数年ALPINE SKI の用具の変化と、それを扱う技術・方法論が大きく変わってきていると感じています。その内容は、滑れない人が書いた文章からではなく、今の用具を使って(使いこなして)育ってきた若い人々の滑りそのものを見ることに尽きると思うのです。ですから、日本代表となる選手の滑りを見たり、ワールドカップで頂点を争っている選手の滑りを見たり。生の滑りを見たいのですが、そうもいかず、TV観戦やDVD鑑賞となる次第です。

見る=感じる、「人間力」を高めるために、私自身昔から心がけていることの一つです。その場に居て、何を感じるか、感じることができるか。そして、それをしたいから、その場に行くということ。パソコンがあれば何でも情報が手に入るわけですが、それ以上に、その場に居ることで、空気から肌から感じることが多々あります。そしてその時の評論は後から必ず聞こえてくるものです。

最近のお気に入り映像は、ある国のジュニアチームのトレーニング。フリートレーニングだったり、ゲートトレーニングだったり。見ていてとても気持ちが洗われる思いです。

我が国のチームも世界の上位を争うようになりました。各人が思い悩み、そして実現していることがとても貴重なことだと思うのです。そういうチームのトレーニング映像集を作って販売してくれないかしら?もっともっと素晴らしい選手が各地から出てくることが期待できるし、売り上げは選手活動の資金にもなるはず。映像公開しても、見た人が実現するには本人の努力次第なので、秘密にしておく理由もないと思うのですが・・・。出たら買います・・・。



2006.6.8
変わらないこと

私が好きな絵。その昔、月山で小熊恵一デモに教わったこと。ストックをスキーヤーに見立てて動かして・・・。


左の図は、緩斜面〜急斜面〜緩斜面を直滑降する時、スムースに滑るためにスキーヤーが動く対応方法を表しています。
(1)緩斜面から急斜面に変化する時は、足元を支点に頭を谷へ。
(2)急斜面から緩斜面に変化する時は、頭の鉛直線上の支点をイメージし振り子のように動く。
これで、バランスよくスムースに滑ることができると思います。

右の図は、ターンを示しています。一定の斜度を円運動する時、スキーヤーが感じる斜度感を示しています。
昔は内側に傾く度合いも少なかったので、直滑降での前後の対応が、ターンでも近い感覚があったのだと思います。
今は内側に傾く度合いも多いので、前後の対応だけではなく、3D(立体・空間)をイメージする訳ですが、
この図を無視する訳にはいかないはずです。斜面を円運動しながら落下していくのですから・・・。



2006.6.10
研究

先月から始めた動作分析を何とかものにして来シーズンのレッスン活動に生かせないかと考えていました。

昨夜、湯谷さんのブログから八木橋さんのブログへ行ったら、動作分析に使用しているソフトを紹介されたいたので、そのメーカーのページへ。なんとビックスワン内の新潟県スポーツ医科学センターの方のコメントが掲載されていました。


というつながりで発見した「スポーツ心理学研修会(専門研修)」明日から6回コースに参加の許しもいただけたので、勉強してきます。



2006.6.13
研修会(第1日目)

日曜日の研修会はとても勉強になりました。
参加者の種目も様々で、それぞれの団体や連盟に持ち帰り効果を出したい、と真剣です。

今回の目的は、1)スポーツ心理学を学びたい。2)20数年スキー学校などで小さな子どもたちからお年寄りまで職業なども様々な方々と接しながら実践してきた内容が、最新理論と何が同じで何が違うのかを知りたい。3)これからの活動に役立つことを見つけるぞ!と個人的には思っています。

今回の研修は話を聞くだけでなく、実技が伴います。研修開始時の現状分析から研修終了時での結果の分析まで、数回実技を行い、その結果を持ち寄って研修するのです。年上のスキー仲間で中学校の先生と相談の結果、その先生が監督をしている新潟市内の中学女子バスケットボール部の方々にご協力をいただけることになりました。でも、今日そのチームは大会に負けてしまったとのこと・・・。ちょっと心配です・・・。早く役に立ちたいな・・・。地元のスキー部の先生にも相談しようと思っています。



2006.6.15
指導法

四半世紀弱指導活動を行っていることになるのですが、その指導法の取り扱いの良し悪しについては、いつも受講生の方に教わっています。また、ティーチングとコーチングってやっぱり違うものだなぁと思っています。


10年ほど前、ブロック技術員の友人が甲信越地区の研修会に参加した時の話を聞いてから、私もいつも心掛けていることがあります。

その時の担当講師は森信之さん。
滑る前に説明して、講師が先に滑り、参加者が全員滑り終わり一言、
「ありがとうございました。」(毎回!、それから次の説明へ・・・)

そうなのです。初めて聞いた内容を、まずはやってみようと思って、そしてやってみる。「それはいやだ!」という選択肢もある中で・・・。


10ターンしてみて10ターンともうまく出来なくても、「ありがとうございました。」と言える指導者でありたいと思っています。対象者が子どもでも、大人でも・・・。本人がやろうと思い、トライしていることが尊いのですから。

そして、1回でもうまく出来たことを「褒めて」あげたい。出来たという喜びを分かち合いたい。それを2回に、3回にしたい、という本人の要望に応えてあげたい。

指導法の良し悪しの審判員は、受講生だと思うのです。
そして、私といえば、受講生の方に今でも育てていただいています・・・。



2006.6.18
月山スキー場へ

ICI展示会新潟会場へは16日の金曜に訪れ、美樹さんに再会。用事をすませ、月山へ行ってきました。
前回に帰りがけに寄った山形県立自然博物園(ネイチャーランド)へ。工藤さんのガイドでブナ林を散策です。
雰囲気だけ写真で味わってください。
▲Click here

午後券でスキー場へ。午後はリフト待ちなしで、沢コースをトレーニング。
板がフォールラインを向いた以降は、角付けを緩めることに集中。体の意識としては常に上体を谷に落としていくイメージでトレーニング。残りの課題は、左膝が思ったより内側を向くこと。体形の影響ですが、2007年はマテリアルの調整が必須です。
▲Click here

慈恩寺そば
山形県寒河江市八鍬264−2 TEL 0237-87-1600

道路向かいの武田農園さんで「佐藤錦」を購入が定番です。



2006.6.21
結論を急ぐ大人たち

世界一上手に滑ること、日本の代表になること、地域の代表になること・・・。
指導者が生徒に求めるもの・・・。
結果が全てなのでしょうか?

指導者になりたいという人と滑る機会が多いのですが、リフトに一緒に乗った時「合格したら、どういう指導活動をしようと思っているのですか?」という質問をよくしています。

具体的に「子どもたちのスキー活動の面倒をみたい!」とか、「クラブの後輩たちに自分の経験を伝えたい!」とか、合格した後を具体的にイメージして取り組んでいる人の方が、合格率が高いように感じています。


私は高校生の時にブラスバンドの演奏で日本一になったことがあります。2回。その時、誰かと競うとか、あそこの学校には負けないぞ、とか、そんな話は一度もありませんでした。(当時)まだ日本の国内でブラスバンドで3度しか演奏されていない曲だけど、難しいけどやってみる?・・・指揮者も生徒で、指導者となる先生もいなかったのに、皆で取り組んだことは「いい演奏をしよう」というイメージを追い求めるということでした。


「日本の代表になること」=「検定で合格点の75点をめざすこと」、似ています。
ともにそのラインをめざしているところ・・・。その後は?・・・。



2006.6.22
イメージ

アルペンスキーのイメージトレーニングは、どのスポーツ種目と比べても、その重要性は高いものだと感じています。

毎シーズン自分にとって何かテーマを決めて取り組んでいるのですが、かなり以前に「イメージトレーングの時に出てくる映像ってどんなの?」ということをお会いする方に色々尋ねたシーズンがありました。
ナショナルデモだったり、スキー学校の先生だったり、一般の指導員の方だったり、テクニカルプライズを目指している方だったり・・・。

ゴールゾーンから見上げていて、そこに滑ってくる映像・・・。
スタート位置にいて、そこから見る後ろ姿の映像・・・。
自分が今滑っていく斜面の映像・・・(?)。

人間の頭の中で作りあげる3D映像処理のスペックは、スーパーコンピュータの比ではありません。
ゴールゾーンから見た実像を、斜面の横から撮影した時の映像に変換したり、リフトに乗車して見下ろすような角度からの映像に変換したり・・・。そして、その滑り手(他人)の中に入り込んで、その人が感じているであろう「感覚」を感じとってみたり・・・。(でも、斜面の映像は出てこないよなぁ?)


私が最初に見るのは「スキーの動き」です。
スキーがどのように雪面に接しているか、たわみ具合はどうか、雪面からの力のかかり具合はどうか・・・。
ですから、イメージトレーニングの時、最初に出現する映像は、「スキー単体が滑ってくる様子」なのです。
スキーヤーは出てきません、スキーだけが登場するのです。

スキーというスポーツは「スキーが滑る」スポーツだと思っています。
そして滑り手はその動きを邪魔しないように介添えしていく。
スキーヤーが滑るのはころんだ時ですよね・・・。

その次に登場するのは、スキーにスキー靴が付いた状態の物体が滑ってきます・・・。





私も入手しました。
(ヘルマン・マイヤーもゆっくり滑っていましたね・・・。)



2006.6.24
本物・実物

自分の知らないことに目を向け、自分の幅を広げるために、年に数回美術館に出かけます。「すばらしい」と言われている本物を見て、肌で感じるためです。
今日は夕方「新潟県立万代島美術館」に行ってきました。

今回の企画展は「ベオグラード国立美術館所蔵フランス近代絵画展 印象派と20世紀の巨匠たち」。
モネ、ルノアール、ゴッホ、ゴーギャン、マティス、ピカソ・・・。
100年前の作品、しかも本物。(7月16日まで開催です。)

ここの美術館は広く、展示数も多いので、1点づつ集中して見ていると、2時間はかかります。
出てくるとフラフラになっていたりします。


「見る=感じる」、「自分の知らないことを知る、認める」、
これもスキーの上達につながることの一つと信じています・・・。
新潟県立万代島美術館
新潟県新潟市万代島5ー1

ついでに、お気に入りのアーティストをご紹介。「チュッパチャプス」の包み紙をデザインした「サルバドール・ダリ」。彼の作品はこちらで沢山見ることができます。
諸橋近代美術館
福島県耶麻郡北塩原村大字桧原字剣ヶ峰1093番23
グランデコや猫魔スキー場のそばですが、冬季は閉館しています。



2006.6.27
リズム感

スキーの場合、右ターンの次に左ターンをして、停止するまでこれを繰り返します。
そこにリズムが生まれます。
時間の概念というのも、人それぞれに感じ方が違うそうですね。


その昔、ブラスバンドでパーカッション(打楽器)を担当していました。メトロノームを使い、リズム取りの練習をします。
バチを打って音がでる瞬間と、メトロノームが音を発するタイミングが同じか?という練習を沢山していました。

当時デジタル表示の腕時計が出始めの頃で、100分の1秒が計測できるものがありました。
それを使って「10.00秒」を表示できるか、目をつぶって、という遊びをしていました。

頭の中にNHKテレビの時報テロップを思い描きます。そしてその発信音を10回繰り返した瞬間とボタンを押し込んだタイミングを合わせます。

「10.00秒」結構できました。
鍛えればできるものです。



(今は雑念だらけでできません・・・)



2006.6.28
リズム感 その2

時間の概念というのも、人それぞれに感じ方が違うそうです。
プロ野球のピッチャーが投げたボールの縫い目が見えたという話もよく聞きます。

その昔、昭和40年代の我が家にはSONY製のオープンリールのテープレコーダーがありました。
テープは当時高級品でしたので、「標準の速度」と「標準の1/2の速度」の切り替えスイッチがありました。
「標準の速度」で録音した音源を「標準の1/2の速度」で再生すると、そのテンポは倍になります。

昭和50年代に高校生だった私はプロのドラマーの音源をこのテープレコーダーに録り、倍のテンポで再生しては譜面に書き、演奏そのものをコピーしていました。
大人になってから、トランペッターの日野皓正さんがプロになるまでに私と同じことをして有名な演奏家のコピーをしていた、とラジオで聞いた時はビックリしました。

どれだけスローモーションを頭の中で描けるか・・・。1/10秒だったり、1/100秒だったり・・・。

今は、サンヨー製のポケットに入るハイビジョンムービーカメラで撮影したMP4ファイルを、QuickTimeでのコマ送りで楽しんでいます。(よい時代です。)本当にクッキリはっきりスローで動きます。

(台東区の区民会館のこけら落としで、そのステージに立っていたことは、あまり知られていない・・・。)



2006.6.29
芸術

皆川賢太郎のはなし」では、ワールドカップサッカーについてのコメントが昨日掲載されていました。

何かを成し遂げる事の前には頑張りが見えていたのでは駄目だと思う。
(中略)つまり現実が始まる時には努力も含めて頑張りと言うモノが芸術に変わっていくはずだと俺は思う。



ここ数日、私も美術や音楽について述べていた訳ですが、ズバリそれなのです。
見る側が「すばらしい」と感じるとしたら、滑り手が思い描くことが現実としてできた時=「芸術」と言い換えることができるからこそ、「すばらしい」という感想が生まれるのだと思う。

音楽であれば、
音を出す練習・・・、
音の強弱の練習・・・、
譜面どおりにリズムどおりに演奏する練習・・・、
それだけでは観衆に感動など生まれない。

演奏家の「魂で奏でるその想い」が、「表現」があるから、聞き手の「魂が振るえる(共鳴する)」のだと思うのです。




本日、東京都スキー連盟より、教育本部専門委員の委嘱状が届いておりました。

微力ながらもう1期、スキー界の発展のために、お手伝いさせていただきたいと思います。
このホームページもお役に立つことができれば・・・と、願っております。


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2006.7.2
プロジェクトD

スキーって楽しい!
大会で1番になったり、思いどおりにうまく動けたり、もちろんその方が楽しいんだけど、
ビリになっても、うまく動けなくても、楽しいと私は感じます。

いろいろな人のブログからたどり着いたそこは「パラダイス」!
山梨県はこまくさスキークラブさんのサイト


プロジェクトD、スキーナウ’07、どの映像も、楽しそうに滑る映像編集は圧巻!
はまりました・・・。


「デモパン」というと、70年代にデサント社から発売された「デモパン レーサー」という商品のテレビCMを思い出します。
それまでのスキーパンツは、「スパッツ型」。
昔のスキーパンツ
タイツと同じですからスキー靴の中に入ります。当然雪が靴の中に入ります。
当時、歌志内の子どもたちは「脚半(きゃはん)」(:腕抜きの足版)を付けていました。
工業製品の無い時代です。母が毛糸で編んでくれた物を、みんなが付けていました。



それが、スキー靴を上から包みカバーするスキーパンツの登場です。



私の家にもまだ「デモパン」ありました。(捨てられずに・・・)
TV東京で放映されたスキーナウで使用されたウエアが・・・。



2006.7.4
指導法 その2

ティーチングの極意。というか、心がけていること。それは、 「短いセンテンス」 で説明すること。
どのクラスの人へも同じ。ただし、受け取り側が理解できる表現で。

長い説明など不要です。これから初めてする事も、短い説明で、まずは「やってみよう」です。
やってみて、次はこうしよう、と体験しながら、そして、簡潔に説明です。


説明する側にとって、「短いセンテンス」は難しい作業です。
しかし、必要な事はそんなに多くはないはずです。
説明する側が、しっかり整理して、根っこにある「大切な事」に気づけば、「短いセンテンス」はできます。
できるんです。


どうしても長い説明が必要なら、ゲレンデでははく、休憩をとりながらレストハウスで行いましょう・・・。
指導者の存在価値って、そんなところではないかと思っています。





うちにも来ました・・・。



2006.7.7
上歌の炭鉱(やま)の子

歌志内で生まれた。上歌(かみうた)という地区で、月見町(つきみちょう)という高台。そこから本町へ下ると、元ナショナルチームの伊藤政照くん兄弟がいたのだが、当時はまだ知らない、というか、まだ生まれてなかったかも・・・。

小学校に上がる前、スキーが欲しくて、親にねだった。まだ、バックルの付いた靴は存在せず、ひもで編み上げる靴。大人は皮製だったが、子どもはゴム製。「ひもで編み上げるには力が無くて、まだ無理だ」と父親にたしなめられたが、「自分でするから」と初めて自己主張をし、結局買ってもらった。アジアスキーの単板のスキーだった。

炭鉱街の様子は1977年に上映された映画「幸せの黄色いハンカチ」(撮影:夕張市)の風景に近い。また、1984年倉本聰脚本によるTVドラマ「昨日、悲別で」の舞台になった「悲別ロマン座」(参考:藤上 匠さんのサイトに写真がありました)は、ガメラやゴジラや大魔神や・・・たまに映画が上映される上歌の会館だった。

炭鉱の各町には無料の銭湯があった。月見町にも。当時父はSAJの2級を持っていた。そして大人たちは、銭湯横の斜面の木に裸電球を連ねて、ナイターゲレンデを作ってしまった。小学校に上がる前の私も、父に連れられて良く滑ったことを覚えている。(政照くんも子どもの時にここで滑った、と言ってましたね。)

新雪が積もると、皆で横にならび、雪を踏みしめながら登っていくと出来上がる「ピステバーン」。
スキーでの遊びは誰が考えたのか、呼び名は忘れたが、「デモンストレーション」のゲームだった。親を決め、親が滑ったとおりに皆が滑るゲーム。親は皆ができないだろうというリズム(シュプール)で滑る。そのシュプールを追う。全員できたら親の負け、列の最後に並ぶ。この時代から「まねる」ということが始まったのかもしれない・・・。


40シーズン目の終わり頃、親父が逝ってしまった。
初盆には故郷の空気に触れたいと思っている。
月見町の畑を耕していると、巻貝の化石がいくつも見つかっていたことを思い出す・・・。



2006.7.8
上歌の炭鉱(やま)の子 その2

月見町から新栄町(しんさかえまち)に移り住んだ。高台の麓だ。小学生は子ども会があり、高学年のお兄ちゃんたちが年下の面倒をよく見てくれた。夏は野球、冬はスキーの遊びが盛んだった。

小学2年生の時、スキーツアーが計画された、子どもたちだけで。
新栄町から山を登り切ると、赤平山のスキー場に出るとのこと。

長谷川さん、平田さんがリーダーだったと記憶している。雪が降ったら中止の約束だったが、2月の建国記念の日頃だったと思う、ピーカンの晴れだった。

ツアーが始まるとリーダーたちは私たちをしっかりとサポートしてくれた。所々に、赤いビニールの紐が木に括られていて、目印になっていた。きっと大人たちとリーダーが試走し、当日を迎えたのだろう。


途中、目の前を横切る「エゾリス」。私たちを先導している「うさぎの足跡」。夏は木が生い茂り、入ることのできない山なのだが、雪がそれを許してくれる。数回の休憩を繰り返してはいたが、しっかりと登りきり、赤平山のスキー場を眼下に望むことが出来た。その光景は今でも目に焼きついている。

そしてピステコースに出た。
数時間スキー場で滑り、帰りは来たコースを逆にたどった。

オフピステのコースなのだが、そこはいつもの慣れたシチュエーション。帰りは行きと違い、あっという間に家に着いたと記憶している。


その後は石炭産業の低迷期に入り、友達がだんだん引越しで少なくなっていった・・・。



2006.7.9
父との約束

生まれて初めて滑ったスキー場は「かもい岳」。「上歌(かみうた)」から路線バスに乗り、山の麓の「歌神(かしん)」で降り、山までスキーを担いで(もらって)歩いて登った。

そこにはリフトという便利な移動手段があった。山を見上げ、右側に「シュレップリフト」が1基あった。
(当時は巻き上げ式のケーブルではなく、太いロープの先に黒い円盤が付いていて、それを腿(お尻)にはさんで登ったので、お尻の辺りが濡れて冷たくなるのだった・・・。慣れてくると、足にはさむ前にトントンと雪を払ってから乗ることを覚える。)

このようなリフトで登っている時間が好きだ。
かもい岳にはヨーロッパ並に急斜面を上がっていく2人乗りのTバーリフトがある。
月山のTバーもいい。
それは、スキーの滑走面がフラットになっているかをチェックできるから。直滑降では怖くて感じているヒマは無いが、逆走では心を落ち着けて足裏感覚を研ぎ澄ますことができる。
乗車中のバランス取りもスキーには利く。このリフトがあると、休んでいるヒマがなくなるかもしれない。
このタイプのリフトを設置する、「スキーヤーを育てるスキー場」が増えることを密かに期待している・・・。
(チェアリフトに初めて乗ったのは「Furano:当時は北の峰スキー場」でした。)



小学2年生の時、かもい岳で講習検定会が開催されることを知った。父から参加を勧められた。
仕事の都合で父は行けなくなった。数回訪れた行程を一人で登ることになった。

知らない大人の先生にスキーを教えていただいた。
「プルークボーゲン」「シュテムクリスチャニア」「パラレルクリスチャニア」。
当時の私は友達との「デモンストレーションゲーム」のおかげで、「パラレルクリスチャニア」で滑れるようになったいた。
ただし、我流。「パラレルクリスチャニア」で滑ることができら「3級」に合格することを知った。


大人たちからは「3級」受検を勧められたが、出発の時、父から「4級」から受けてみるか、と言われていた。
きっと、4級なら合格するだろうと思っていたからだと思う。合格する、認められる喜びを感じてほしいと思っていたのだろう。

「4級を受けます。」と言って臨み、緑色の六角形の、雪の結晶の形をしたバッヂをいただいた。


仕事から戻った父にバッヂを見せたら、とても褒めてくれた。



2006.7.11
新井リゾート(新潟県)

新井リゾート運営会社が解散となった旨新潟ローカルのニュースをお昼に見た。(新潟日報の記事はこちら
ついに来た。「初心者への指導 独自論」(2006.7.1)にて懸念していたことが現実になってきた。

本当に「スキーをすること自体」を自分の回りの一人でも多くの人に伝播することをやらないと・・・。
身近な人を一人連れてスキーに行こう!
そして、培ってきた技術を、自分のために取った資格を、本当に役立てなければいけない時がきているのだ!

すでに滑れる人に対して、重箱の隅やその外側を突っつくような活動よりも、「真にスポーツとしてのスキー」「どんな斜面でも滑ることができるスキー」「自然を満喫するスキー」を楽しむ活動をお手伝いしなければ・・・。

この3つのスキー活動をサポートするためには、自分をしっかりもって、大きな団体の疑わしい話に騙されてはいけない。



2006.7.12
日本スキー教程に望むこと

教育部指導員を受検するために読まなければいけない本の一つです。

私の希望としては、編集委員の中に現役ナショナルデモや、競技部のナショナルチームコーチなどにも参加いただき、『世界で勝つための基礎』を盛り込んでいただきたい。それを一般指導員の先生方に行う研修会で取り上げ普及活動を行うことで、日本代表チームの裾野が広がるのだと思う。


アルペンスキーに『教育部』とか『競技部』とかの区分けをしても良いが、どんな方向から見ても『アルペンスキー』に変わりようがないものである。

(ただし、今まで続いている指導員検定やバッヂテストを否定している訳ではありません。さらなる普及を望んでいるのです。)


皆で危機感を感じないと、子どもの人口が少ない今、選手がいなくなりますよ!


発展途上のスキーヤーは海外の事情は知らないので、各国の取り組みなど知っている方がいらっしゃいましたら、是非教えてください。



2006.7.14
プロペラターン

子どもの頃から「小回りターン」が苦手だった。準指導員検定でもこの種目は「70.0」でギリギリ合格だった。
(昔はおおらかで、合格・不合格ともクラブあてに点数資料が送られてきていた。)


準指導員検定に合格した初夏に月山へ行った。小熊恵一デモと一緒に滑った時に、ジャンプターンによる小回りをトレーニングした。「スキー全体を雪面から離して」「トップを上げて」「テールを上げて」。
全然できなかった。


山を降りてきてから、「なぜできないんだろう」「どうやったらできるのだろう」というのを考えた。

当時のスキー教程に書かれていた「指導の原則」という項目に、「やさしいものから難しいものへ」というのがありました。
今の自分にとって、「できないこと」=「難しいもの」。
では、「やさしいもの」ってこの場合どういうものだろう・・・。


1)斜面は難しいな → 平地でやってみよう。
2)長い板を付けては難しいな → 板をはずしてやってみよう。
3)スキー靴は重いので動きずらいから難しいな → 運動靴で芝生の上でやってみよう。



つま先の前に横線をイメージしてみます。






ジャンプして空中で向きを変え、着地します。
腰の向きをそのままにして、股関節より脚を捻る感覚です。

着地したら、足の向きを確認してみましょう。

ターンの内足となる方のつま先が思ったより捻る量が足りなかったり、ターンの外足となる方のつま先が思ったよりも捻りすぎていたり・・・。
自分の思いと着地の結果がズレているなら、板を付けていたら、トップ側が重なったり、テール側が重なったりしてしまいます。「左右の足の向きを同じ方向にする」ことが目標です。
焦らず、じっくりと観察してみましょう。


また、方向は良くても、両足を結んだ線が最初に設定した線とズレてしまったら、
腰の向きも一緒に変わっています。ウエスト部分から捻られている感覚です。

これを良しとするか、悪しとするかは、色々な考えがあると思いますが、
トレーニングで大切なのは、

自分の思い通りに自分の体を動かすことができるか、
その運動量を思い通りに調整できているか、

ということになると思います。どちらも思い通りにできたら結構です。


トレーニングの様子を正面からビデオカメラで撮影し、早送り再生で見てみましょう。
上手に動けている人は、腰から上が安定して左右にブレません。映像の上体のブレ具合はバランスのブレと考えましょう。

同じポイントにうまく着地できるようになったら、着地する場所を少し前方に取り、前進してみます。
どんどん前進していくと、斜面を下る感覚に近くなります。



今の時期に時間をかけて、ジックリ納得するまでトレーニングしたら、雪上で理想的な動きが3回目でできているはずです・・・。(イラストがブレているのはご容赦願います。うまくできるようになったら、当時はこれにストックワークのトレーニングも加えていました。)


質を上げるという作業の出発点には、このようなことも必要なのではないだろうか・・・。



2006.7.17
上歌の炭鉱(やま)の子 その3

冬の遊びはスキー。ランドセルを置くとすぐに着替えて、日暮れまでの短い時間を最大限楽しもうと、勢い良く飛び出していく。山に囲まれた街だから、いたる所に斜面があり、滑り放題だ。

「デモンストレーションゲーム」の他によくやっていたのが「ジャンプ」。
自分たちで雪を集め踏み固め「ジャンプ台」を作る。もちろん、誰が遠くに飛べるか、を競うわけだ。

(今でもボーダーの方々は台を作り楽しんでいるのを見かけます。横を通り過ぎるとき、「おぅ、やってるやってる、楽しいんだよね、これ!」と心の中でつぶやいていたりする。)


台の縁辺りで踏み切りをする。その場所が早くても遅くても遠くには飛べない。上から滑ってきて、タイミングを合わすのだ。(そういえば、ストップウォッチでタイミングを取るのに似ている・・・)そして、3〜5mを飛んで着地する。

遊びは進化していく。3〜5mを飛んでいた台を、頑張れば5〜10m位飛べるようにと、台を大きくしていく。


月見町の高台の麓、西町に30m級のジャンプ台があった。
シャンツェは木造。踏み切り台やランディングバーンは斜面の地形をうまく使っていた。

板張りのシャンツェは、板が腐れてしまうので、毎年補修がされていた。
そういう安全への配慮もあったと思う、「子どもたちだけで行ってはいけない」、がローカルルールだった。


そういうことで毎日使っている訳ではないので、ここでも皆で踏み上げながらランディングバーンを登って整地作り。
雪の量によっては滑り降りて、もう一度踏み上げることもあった。

シャンツェに上がると、自分たちが作ってきた台とは景色が違う。やはりビビってしまう。
少し控えめに助走距離を取り、無理をせず、飛ぶことに慣れることから始める。
スピードが足りないと、ランディングバーンの土手部分に着地し、なかなか斜面の中へ落ちていけない。

慣れてくると、シャンツェの一番上から滑り始めていた・・・。


アポロ11号が月面に着陸する前の冬の出来事でした。西町のジャンプ台は今はありません。
このジャンプが、ゲレンデシュプルング(通称ゲレシュプ)という検定種目として存在することを、数年後に知ることになる。



2006.7.19
プルークボーゲン

といえば、海和俊宏さんを思い出す。
80年代前半のスキー雑誌に掲載されていた記事。ワールドカップに出場していた頃の海和さんが、プルークボーゲンのポジションから、上体はそのままに片足を寄せて、パラレルポジションに変化することを2枚の写真で表現していました。強烈な印象でした。

今でも、プルークボーゲンは、初心者が安全に滑る技術であるとともに、ターンの原型だと思うのです。
それは、足場(スキー)と股関節(腰)が離れていること。(距離感Acm)
片足を寄せるだけなので、この「距離感Acm」は変わらないはず。

はたしてパラレルターンで滑る時に、この「距離感Acm」を感じているだろうか?
「距離感Acm」が短くなっていないだろうか?


外足ということで着目すると、まぎれもないターンポジションである。
そのポジションに如何に移動するか、というのが、パラレルターンの課題の一つではないだろうか?

その距離感を感じるために、もっとプルークボーゲンで滑ってみよう!
もっともっと、初心者を指導する時間をとると、パラレルターンももっともっと上達するのだ、と思っている。



2006.7.20
プロペラターン その2

平地でのトレーニングとして、ジャンプして空中で向きを変え〜着地する要領は前回述べたところです。
ここで別の観点から注意したいこと。


(1)着地〜着地まで、という運動をイメージすると、
マキシマム〜マキシマムまで「大きくひねる」という感覚になります。

この要領では着地ポイントを同じ位置に調整することも難しい。

この場合、ひねる時間が長いので、マキシマムの場所で「休憩」することになると思います。ですから、実際の滑りでは、ターンの後半に休んでしまい、なかなか切り替えできない〜ターンの前半部のリズムが悪くなりますね。


   ちょっと、観点を変えてみましょう。

(2)前方に向いていることを基準と考えます。

すると、
「ひねる」という感覚、量が、上記図に対して半分でよいことになります。

そして、マキシマムでは脚部と上体がひねられている訳です。
その「ひねられている」状態から、「元にもどす」という感覚を使って正面を向きます。

この動きを連続すると、自分の力を使うタイミングが半分になりますので、とっても省エネ!長距離の小回りターンでも、苦にならずに滑れそうな気がしてきます。

また、足の中心部(図の赤丸部)に軸を感じることができるはずです。着地ポイントを同じ位置に調整することもやさしくなると思います。

「ひねる」〜「もどる」まで一連の動作で動けるようになるので、切り替えのリズムも途切れることなく、ターンの前半も理想的に迎えることができることでしょう。

休憩の感覚は「正面を向いている時」。そうすると、バランスを基準に戻しながら落下距離も取れるので「一石二鳥だ」と思っています。

ちょっと観点を変えるとやさしくなりますね。お試しください。



2006.7.26
基本技術

2006.7.21に湯谷信二さんがブログで紹介されていた「SAJ アルペンレーシングプログラム3 チルドレン育成編」。
これは見なければ、ということで、スキージャーナル社より昨日届きました。

ゴールデンエイジの子どもたちを育成する時に注意する事、これは、スキーだけでなく、何かの種目を専門にしたいと思っている人にとって共通の知識となってほしい。肝心の大人たちが、種目毎の連盟に分断されていることが気がかり。

子どもは1人でいろいろなスポーツを経験して育っていく。
指導する側の大人たちが、ついていけているだろうか?
共通である知識を共有できているだろうか?
総合型地域スポーツクラブあたりを核に、普通のおじさんたち(私も含む)に伝達・啓蒙を図らねば・・・・。
最先端の研究結果を普及する手段を手に入れなくては・・・。

「スキーの基本」という曖昧な言葉が、いろいろな人のブログに登場している。
「基本って何だ?」と思っている人には参考になるものがあるDVDだと思います。

子どもにとっての「基本」とは、大人にとっても「基本」であることに、まちがいない!
指導者は見本となる滑りを見せてあげよう!
だから、アルペンナショナルチームの経験がある「ナショナルデモンストレーター」の来期の行動・活躍を期待している。

SAJ ALPINE RACING PROGRAM 3
チルドレン育成編

構成・監修
財団法人全日本スキー連盟 競技本部
アルペン部
情報・医・科学委員会
(カバータイトルに「 夢は『世界』・・・ 」とありますが、次回PROGRAM4では「 夢は『世界一』・・・ 」が適切でしょう。)
教育本部オフィシャルブックの付録として販売してはいかがでしょ?



2006.7.30
怪我の予防

片足で屈伸運動をした時、ふらつかずにできますか?



体のバランス、特に脚部の筋肉のコーディネートがうまくできるか、脚を曲げた時に、膝が真っ直ぐ前に移動するように筋肉を調整する。足首の具合、股関節の具合によって、ふらついてしまう。


昔の板はサイドカーブもゆるく、一般人にあっては、体・脚部のバランスが悪くても、、「体のぶれ」→「スキーのぶれ」を誘発し、その「ぶれ」によるエネルギーは「スキーがぶれる」ことで外に放出され、体への負担は軽減されていた、と考えている(物理の先生どなたか補足してください・・・)。

しかし、昨今のカービングスキーは、スキーヤーの技量を問わず、角付けさえしてしまえば、グイグイ回転してしまうような按配だ。そして、改善されない「体のぶれ」はというと、「スキーがぶれ」なくなったため、そのエネルギーは、「体の中にたまってしまう」、と考えている。

片足屈伸でふらつくから、膝が真っ直ぐ前に出なくて、膝が内側や外側の方向に出てしまう。
だから、靭帯などに負担がかかり、怪我につながってしまう訳だ。

「エネルギー」=「質量」×「速度の2乗」、
だから、滑走スピードが高まると、「その2乗」に比例して、アクシデントがあった時のダメージは大きい・・・。
(倍じゃないですよ、2乗ですよ!)


Alpine Racing の選手は夏場のトレーニングに既に組み込まれているはず。
問題はそれ以外の人達で、ある程度高速で滑ったり、急斜面を滑ることを目標にしていたり、指導員を受検する、プライズ検定を受検する、そんな人達。+私達指導者も。


冬場のパフォーマンスを上げるために、怪我を予防するために、この夏、自分の体と会話してみよう。



2006.7.31
空知太スキー場(そらちぶとすきーじょう)

今から35年前のこと。歌志内市から滝川市へ引越した。炭鉱の退職者制度を利用しての転職のようだと聞いている。
父は当時45歳。この年齢での転職はさぞかし大変だったと思う。


滝川は空知川と石狩川が合流する三角州が発展した平野の町。そして我が家の周りは田んぼだらけ。
坂といえば、現在、「チョッちゃんアンティークコレクション」(黒柳朝さんが集めた西洋アンティーク600点あまりを展示)がある市民会館の「一の坂」。そこから根室本線に向かっている坂でスキーをしていた。


空知川の対岸には「空知太スキー場」がある。当時はリフトもなく、スキーができるように開墾されていた斜面。
「市報」に掲載された「講習検定会」に参加した。父が持っていた2級を受検した。種目には「横すべり」もあった。合格したら父と並ぶぞ、とワクワクしたが、合格することはできなかった。(5年生の時に合格しました。)


そして初めて「市民スキー大会」に参加した。
小学校低学年は「みかん拾い」。文字通りコース途中のみかんを拾うのだ。
中学年からは「竹のポール」を立てた「回転競技」。確かストップウォッチで3人が計測して平均を出すルールだったと記憶している。

このスキー大会は、お父さんたちが手作りで運営した大会だった。日ごろは料理を作る姿を見たこともないのに、大きな鍋で「豚汁」(ぶたじる)をお父さんたちが作ってくれた。今でも記憶があるのだから、相当インパクトがあったと思う。


お金で解決したり、批判だけして人まかせにする昨今とは違い、お金が無くても皆で知恵を出し合い、温かい大会であったと思う。これを昭和の思い出で終わらせてはいけないと思っている・・・。


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2006.8.2
東京都スキー連盟

高校卒業後の進路は東京だった。勤めながら大学の夜間部に通っていた。
同じ職場の先輩から、「新しくスキークラブを作り活動するので一緒にやらないかい?」というお誘いをいただいた。
1980年の夏のことだ。


右も左もわからない状況であった。内地のスキー場といえば「蔵王」、「苗場」は聞いたことがあった。
果たして、雪が降るのだろうか?そう思っていた。足前は2級。1級受検は続けていたが、そろそろ10年近くになっていた。


クラブの方に雪を見に連れて行ってもらおう、と思い、入会した。
こうして、『アスペンスキークラブ』に所属し、東京都スキー連盟にお世話になることになった。
そして冬を向かえ、後のミスタースキーナウ、当時デモを目指していた『小野塚喜保』氏と出会うのである。


今、振り返ると、この大きな流れは、前もって決まっていたかのように思えてくる。
東京都スキー連盟にお世話になって今年で27年。あと1期、2年頑張ります・・・。



2006.8.3
自衛隊滝川駐屯地

中学生になった。滝川市立江陵中学校に通った。
冬場の体育の授業ではスキーをする学校だった。
学校から数百メートル石狩川方面に向かうと、自衛隊滝川駐屯地があり、駐屯地の中に小山が作られていて、隊員の方々は踵の上がるスキーで登行・滑降の訓練を行っていた。

体育の授業は、1週間分の授業時間をまとめて、午前中全部をスキー授業に当てる、そんな時間の使い方をし、自衛隊駐屯地に出掛けた。


雪国ではあるが、全員スキーの達人であるはずはなく、初心者には初心者の練習があり、うまく滑れる者はそれで集まり練習をする。当時すでに1級を持っていた同級生がいたが、体育の先生はうまく滑れるグループのリーダーに私を任命し、練習をすすめるように指示し、初心者グループの面倒を見に行ってしまう。

バッヂテストの講習会に毎年参加していた私は、プルークボーゲン、シュテムターンで外足の使い方を中心に、講習会で学んだ事の見本を滑り、皆で練習した。

スキー指導の初体験である。



2006.8.5
マテリアル

40年もスキーをしていると、スキー教程の年表に掲載されているスキーの歴史に登場するスキーのほとんどを、実体験として使用してきた。

単板(アジアスキー&カンダハーのビンディング&ゴム靴ヒモ編み:就学前)

合板(ハセガワスキー&ステップイン式+流れ止めのヒモのビンディング&ゴム靴バックル付:小学3年生)

小学4年生の時に札幌オリンピックがある。

グラスファイバー(HAGAスキー&マーカー+流れ止めのヒモのビンディング&プラスチック靴:小学6年生)


道具の性能が著しく変化した時代だ。
特にグラスファイバーのスキーになった時、市民スキー大会で1位という結果も得た。
体の成長に合わせて、数年おきに買い替え。

その後は、高校生〜社会人まで、ブリザードを使っていた・・・。



2006.8.7
シュテムターン

ハの字でターンを切り替え、ターン外足の対応を学びながら、パラレルターンへと導いていくターン。
ゆっくり滑るので、色々なことを感じ取ることができる。

板自体の回転性能が低かった昔、スキーを動かして角付けを切り替える方法をとることが、唯一、上達への近道であった。


「外足の角付けをゆるめてズレを誘発させる」という指導法をとっている人もいるようだが、私は嫌いだ。
そこで角付けをゆるめてどうするのだ。何のために足場を横に出したのか・・・。

斜面を移動していく訳なので、スキーを側方(谷側)へ押しずらすように働きかけると、「角付け」されていても、ズレるのだ。


確かに、大きなハの字をとると、足場が遠くになり、角付け量も大きくなるから、ズレにくい状況になる。
であれば、小さなハの字では、いかがでしょう。
股関節の鉛直線よりも、足場が外側に位置する。その距離感をキープしたまま、パラレルターンの軌跡のさらに外側にズレ続けるのだ。


大切なのは、ターン外足に重みを伝えること。板をたわますために。
重みがうまく伝われば、スキーはズレるのである。


頭の位置が、外スキーより外側に位置したって、遠心力がかかり内傾したら、ちょうど良いと思いませんか?

さらに、応用として、「ターンの前半で外足の角付けをゆるくすること」を試みます。これは易しくできると思います。
その感覚がパラレルターンの後半部分に感じることができますか?

「角付けを強める」、「角付けをゆるめる」、「板をたわます」などを易しくトレーニングしたい、
だから「シュテムターン」でしょ!

あと3か月で、シーズンインを迎える・・・・。(なぜかモチベーションが上がってしまう??)



2006.8.8
プルークターン

プルークボーゲンで滑ることに慣れてくると、外スキーの角付けがうまく使えるようになってくる。
ズレによりゆっくり滑っていたスキーが、角付けによってズレが少なくなり、スキーの滑走性が良くなる。

すると、角付けによって、外スキーへの働きかけの反作用として、重心がターンの内側方向へ移動してくる。
すると、内スキーの角付けはゆるむようになり、平踏みの状態を経由し、ハの字のポジションからパラレルターンのポジションへ変化していく。


プルークボーゲンからダイレクトにパラレルターンを習得させようとする方法だ。


これがプルークターンだ!というピンポイントな滑り方は無く、「プルークボーゲンの状態が崩れた」ものから「パラレルターンになる手前の状態」まで、どれもがプルークターンである。そう思っている。

話はそれるが、指導員検定の種目設定も、単純なプルークターンではなく、「プルークボーゲンからスタートしてパラレルターンに発展する過程を表現する、展開の種目」を私は望んでいる。指導者となるべき人の理解力、習熟度も容易に判定できるはずだ。実際の指導の現場でもすぐに使える技量が育つと思う。


さて、ここで、プルークターンの構造をよく見てみると、外足で抵抗をキャッチするために足を伸ばし、側方へ足場を移動することで生まれてくる「ハの字」、と、内足が外スキーの滑走性に負けて外スキーについていこうとすることで生まれてくる「二の字」の状態がある。

「ハの字」と「二の字」といえば、シュテムターンの時にも見られる現象。
「プルークターン」と「シュテムターン」は、ともに「ハの字」と「二の字」で似ているが、果たして何が違うのだろうか・・・・。

八月八日の考察でした・・・。



2006.8.10
プルークターン その2

「プルークターン」と「シュテムターン」は、ともに「ハの字」と「二の字」のポジションが表れ似ている。
でも、この2つを比較すると、決定的に違う点がある。

指導員を受検する方に質問してみても、「ズバリ」の答えを1番目には出してくれない。

ターンの入り口で・・・・、「二の字」から「ハの字」に変化するには、スキーを動かすしかない。
舵取りでの内足が・・・、シュテムターンでも内足を寄せないで舵取りすることは出来る。

先に滑り降りて、下から見ていると良くわかる。
私も10数年前の指導員研修会で下から見ていて気が付いた。


それはターンの後半である。


シュテムターンでは、外スキーの角付けをキープしたまま切り替えを迎える。

それに対し、プルークターンでは、パラレルターンになるように、「ニュートラル(究極は斜面に垂直に立つ)」に移動するように外スキーの角付けをゆるめていく。

最後まで角付けをキープするのか、途中でゆるめるのか・・・。
どこの場面からゆるめていくのか・・・。

ターン(回ること)に酔いしれてはいけない。
ターンの内側に居続けると角付けはゆるめられない = 減速。

ターンの内側に倒れてしまった上体を起こし、体を谷側へ移動(落下)するのだ。

パラレルターンで滑りたい人はトライしてもらいたい。

かく言う私は、スピードがでるとフリーズしてしまい角付けがはずれないことを、「2006.5.25」に反省しています。
自分の思いと現実の滑りとの差に気づいてほしい。
私はスピードが出てもパラレルターンで滑ってみたい・・・。

プルークターンで滑る場面をイメージする時には、滑り出しの1ターン目と6ターン目ではスピードが違うことも意識しなければ・・・。

そして、プルークターンの要領で色々な斜度を滑ってほしい(緩斜面から急斜面まで、山頂から山麓までの長い距離を)。



2006.8.11
準指導員養成講習会

21歳22歳の2シーズン、準指導員検定を受検していた。83年84年のこと。当時すでにサラリーマンとして日本一大きな会社に勤めていたので、スキーはサンデースキーヤーとして土日が中心であった。

受検には養成講習会の参加が義務付けられていて、規定の時間参加し、指導法などを学ぶ。
規定の時間には実技の時間だけでは足りず、昼食時間を講師と一緒に過ごしたり休憩としてお茶を取りながらミーティングをしたりする。

「私をスキーに連れてって」の映画の頃のスキーブームよりかなり前ではあるが、この年齢の参加者の殆どは大学生で、
18人位いた班の中でサラリーマンだったのは、私ともう一人ぐらいだったと思う。

自己紹介の話を聞いていると、○○大学の△△スキーサークルに所属していて今は××スキースクールでアシス
タントをしています、とか、▲▲スキー学校に所属していますとか、皆すご〜い、と感じていました。


しかし、そんな話を聞いても「うらやましい」とは思わず、「滑走日数」と「できる」は正比例の関係ではないな、ということを感じていた。当時から単純に「できない」が「できる」になれば良い、そう思っていた。

彼らが毎日スキー場にいて1シーズン(約100日)かけてできること、それを3日でできるにはどうしたら良いか、あるいは3回でできるには・・・、平日都内に戻ってきて、そういう事を考えていた。

「できない」と「できる」の違いを観察したり、考察する。この滑らない時間、平日のインターバルが上達を促していた。
そして、週末は上達を確認するための限られた時間だから、雪面に立っている時間を無駄にしたくはなかった。


スキーは雪上でするものだが、上達は滑らない時にするものである。
けっして滑る時間を単純に増やしていっても、それだけで上達するものではない。


この夏、若い人たちは、モチベーションを上げて取り組んでほしい。今していることが、この冬、あるいはこの先、きっと自分に返ってきます。八木橋拓史さんのブログで紹介されているように、1度や1mmを大切にしてみよう。



2006.8.12
かもい岳スキー場

今日は滝川に帰省している。午前中に子どもたちと赤平、歌志内の叔父の所へ顔を出し、昼食に道の駅「歌志内チロルの湯」に寄った。

昔、歌志内駅の近くに「おばさんの家」という食堂があり、そこの味を再現した「おばちゃんラーメン」をいただいた。
美味しいラーメンのリストにまた一品追加されました。

食事が終わる頃、隣のテーブルの人と顔を見合わせ、3秒後にお互いに「あっ!」というシーンがありました。
高校時代にブラスバンドで同じパーカッションを担当していた1期上の先輩で宮本さんに再会、25年振りの再会です。
とても嬉しかった・・・。


午後はかもい岳スキー場へ。
夏場は「パークゴルフ場」になっています。今日は9ホール×4コースを回りました。

上歌会館跡 今日のかもい岳 おばちゃんラーメン
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2006.8.19
子どものスポーツ医学

2006年9月10日(日)に新潟県健康づくり・スポーツ医科学センターで研修会が行われる。

■内容 
 子どものスポーツ医学 〜成長期の科学的スポーツ指導〜

■趣旨
 子どもの成長・発達に応じた指導の在り方について、その基本的な事項、科学的背景に基づき、スポーツ障害を起こしにくい指導について研修する。また、スポーツ活動に伴う栄養補給やスポーツドリンクの選び方についても学習する。


興味のある方は 新潟県スポーツ医科学センターのホームページ をご覧ください。



2006.8.22
ひねる動作

カービングスキーが登場して、スキーが回転してくれるので、脚をひねる動作が少なくて済む。
多くの人がそう発言する。
本当にそうだろうか?


スキーの回転性能が良くなり、操作する人が脚をひねる動作でターンをリードしなくても良くなるので、ターンすることが楽になったと感じてしまうのだ。

滑り手の感覚と現実は一致しないものだ。スキーが回転をリードしていても、しっかりと脚はひねられているのである。

自分の意識と動作が違うケースとしてよく見かけるのが、スキーの向き以上に大腿を内側にひねり、膝に相当負担がかかっているケース。膝はひねることができない関節のはず。

スキーの回転と脚のひねりがマッチする、質の良いひねりとは、どういうものだろうか。


まず、ストレス無く、スムースに動かさなければならないのは、「つま先」である。
左右の感覚差をなくすように、動かしてみよう。

その動く分量だけ、大腿をひねるのだ。
股関節が球運動する量と、つま先の向きが変わる分量が同調するように。


私は、「大腿から下がギブスで固定された状態」をイメージして、股関節の球運動を感じている。
そうすると、プルークボーゲンのポジションになってしまうのだ。

股関節の可動域が小さい男性諸君!
日常の感覚の差が、雪上に立つ3か月先には、大きな差になってしまうのだ。
その先を目指して、今、汗を流そう!



2006.8.25
上砂川岳国際スキー場

かもい岳スキー場のある歌志内市と砂川市の中間ぐらいに位置するスキー場。
滝川に移り住んでから年に数回行くようになる。バスを乗り継ぎ行くのだった。

上砂川のスキー場は、麓に三角屋根のロッジ(休憩処&食堂)があり、おにぎり持参+ラーメンが定番だった。
それにしても、北海道のスキー場のラーメンは本格的なものが多く、「ハズレ」に出会った記憶がないほど。
スキー場といえども侮れない・・・。



確か、高校1年の頃であったと思う。
リフトを乗り継ぎ第2リフトの急斜面を滑ろうとしていた時、リフト乗り場付近で大人が6・7人集まり、シュテムターンを練習している光景に遭遇する。


第2リフトを数本滑っていたが、大人たちはまだ同じところで同じようなことをしていた。
熱血指導をしている人もいた。
熱心にシュテムターンを練習していた。
(どうして??)


(私が成人して数年が経ったとき、スキー雑誌に元デモの紺野光弘さんの回顧録が掲載されていた。どうもこの時のシュテム集団は「藤本厩舎」と呼ばれていた方々のようで、デモ選の練習をしている人たちだったのである。)


その後、昭和55年3月、第1回基礎スキー選手権大会が、大和ルスツスキー場で行われた。
「優勝した地元吉田幸一選手」というタイトルで、夕方のテレビニュースを見ていて偶然知るのである。
東京へ出発する1週間前のことだった。



2006.8.26
スキー仲間

今日は新潟県聖籠町の高橋巨峰園さんへ行ってきました。今日から観光ぶどう園が開園です。
高橋さんとは仕事のお付き合いの他、スキーもご一緒したりしていました。(ご夫妻とも)

冬はぶどう園がクローズされますので、シーズン券を購入されスキーを楽しんでおられます。
もしかして、私より滑走日数は多いかも??

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高橋巨峰園
新潟県北蒲原郡聖籠町二本松
練馬ICから1つ目の信号を右折してすぐ!!



2006.8.27
新潟県立近代美術館

今日は長岡市へ。
7月15日から開催されていた「ウィーン美術アカデミー名品展(ヨーロッパ絵画の400年)」を鑑賞してきました。やっと休みの調整が出来て今日となりました。
(前売券は萬盛社さんで購入。ありがとう松本さん。)

今日は一周2時間半。美術鑑賞には集中力と体力が要ります。
9月10日まで開催されています。

2006年はモーツアルト生誕250年の記念イヤーです。会場にもポスターが掲示されていました。
http://www.mozart2006.com/
オーストリアは山も街も見所いっぱいですね。WCレースもあと2か月で始まりますし・・・。
新潟県立近代美術館
新潟県長岡市宮関町字居掛278−14  TEL 0258-28-4111



長岡市まで行ったので、お隣りの魚沼市まで足を伸ばし昼食。
目的地は「小松屋さん」でした。
▲ Click here
名代手打ち 小松屋
新潟県魚沼市今泉1545−1
TEL 025-799-2056  定休日:水曜日  営業時間:11:00〜14:45  16:00〜19:00



2006.8.31
コップの水

その昔、月山で聞いた話です。

自分の頭は実はコップなのです。
今までの知識と経験で水が並々と一杯になっているのです。

新しい知識と経験をこのコップに入れるにはどうしたら良いですか?


新しい水を注ぐには、コップを空にしなければなりません。

コップの水を捨てます。
と聞きましたが、私はもったいないので、飲み干します。



飲み干すと、体の中に染み渡ります。


そして、空っぽにしたコップを差し出した時、新しい水が注がれます。


どんなに有名なスキーヤーの話を聞いても、とても素晴らしいレッスンを受けても、受け手側の器に新しい息吹きが注がれなければ、時間を無駄にしていると言えるのです。

他人(ひと)の話を聞いたり、ブログや本で文章を読む時は、自分のコップを空にしています。
また、その話とは相手の年齢には関係ありません。年上の人だったり、年下の人だったり・・・。
だから、私以外の人は、皆、私の先生だと思っているのです。



とは言え、私のコップには、どうもビールが注がれているようです・・・。


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2006.9.7
筋肉痛

準指導員を合格し、正指導員を受検していた頃(1985年〜1987年)、上越新幹線はまだ上野駅が始発でしたが、この新幹線がスキーの上達を助けてくれた。

当時の日本一大きな会社は、土曜日が午前中までの営業(いわゆる半ドン)で、12時〜13時の上野発に乗ると、15時には石打後楽園スキー場の山頂に到着することが出来た。

そうやって12月の下旬から毎週通い続け、3月頃になると、山頂へ到着はするものの、「滑る気力」が萎えたり、体が思うように動かなくなることが、多くあった。


その後は、11月にオープンするスキー場へ出掛けたり、そのうち、志賀高原でも天然雪でオープンすることは稀で、人工雪のスキー場でシーズンインを迎えるようになり、硬い雪で体への負担も高まってくると、正月を過ぎた頃には、体が思うように動かなくなってきた。

30歳代半ばになっていたことが原因と思っていたが、そうでもなかった。
中学校の先生でバスケットボール監督の姫路さんから、「プロテイン」を紹介された。

1985年頃のプロテインは、豆味全盛で、水や牛乳にも溶けずらく、玉になったりしていた。
ところが、「バニラ味」や「ヨーグルト味」などがあり、シェーカーで溶くと玉にもならず、とても飲みやすいものにプロテインも進化していた。


目標を持ってスキーに取り組んでいるサラリーマンの諸君!
毎週スキーに出掛けているあなた!
筋肉痛にシップ薬などを使っている場合ではない。

スピードを出して滑ったり、急斜面を滑ったりしているということは、脚・背筋・腹筋など、全身の筋肉に、尋常でない負荷がかかっているのだ。何十キロもあるバーベルを肩に担ぎ、スクワットをしているようなものだ。そうして、細かい筋繊維が断裂して痛みやだるさを引き起こしているのである。


たんぱく質を多く摂る = 運動直後にプロテイン をオススメしたい。

私は平日でも、筋肉痛が残っている場合は、朝晩の食事前に摂るようにしている。
写真は、2000年より愛用しているコラーゲン入り「ZAVAS PROTEIN XX LBM」。
(遠征時には持参しています)

製品の詳細は 明治製菓株式会社のホームページ を!


石打後楽園スキー場(現:舞子高原後楽園スキー場)についての回顧は後ほど。



2006.9.8
菅平高原スキー場

今でこそ12月から3月まで毎月2回は訪れるスキー場であるが、初めて訪れたのは、1987年の指導員検定会だった。

当時の準指導員検定会は、この菅平と志賀高原サンバレースキー場の2会場で開催されていたが、私はサンバレー会場での受検であったことと、合格後の指導員研修会は専ら12月の車山高原スキー場で開催される会に参加していたので、指導員検定まで、菅平へは行ったことがなかった。

この年、アスペンスキークラブからの参加は私だけで、右も左もわからなかったので、検定会本部宿舎となっていた「ホテルやまびこ」にハガキで宿泊を申し込んだ。当日は東京から夜行バスを利用した。


ホテルの配慮で、東京都の受検者3名の相部屋であった。磯崎さん、畑中さん、と私。
初めての出会いであったのだが、数年後、なんと都連教育部の専門委員として3人が再会したのである。
不思議な出会いに、とても驚いた。

参加者名簿が残っていないので、お名前は失念しているが、私の次の番の方から、全種目が終わった後に「とても上手くて、プレッシャーになりました!」と褒められたことにも驚いた。帰京してからわかったのだが、長野県の代表選手のウエアを身につけられていた方であった。



2006.9.10
子どものスポーツ医学研修会

今日、新潟県健康づくり・スポーツ医科学センターで開催された研修会は、2時間では学びきれない内容であった。
新潟大学医歯学総合病院第二内科 医師 田中純太氏を講師にお迎えし、スポーツ指導員・教師・栄養士が3割づつ100名超の方々とともに拝聴した。

子どもの成長とスポーツを考える時、栄養を摂り体を作るという要素が必ず必要である。
「食べることもトレーニングで、食のコーチは母親。であってほしい・・・」とのコメント。
ジュニアアスリートには当然必要であるが、脳の発達や学力の向上にも関係あることだけに、普通のおじさんやおばさんにも知ってもらいたい内容。

このあたりは、文部科学省と厚生労働省がタッグを組んで、小学校や中学校の科目の一つとして取り組み、大人になるために必要な知識として学ばせることや、PTA活動への助言などから、子どもを育てるための知識と方法論の啓蒙、普及につとめないと、健全な体と心が成長しない。
凶悪な犯罪が毎日報道されている今、今からやりはじめないと、50年後にはとんでもないことになってしまう。


IT技術に長けた一部の人が情報を拾うのではなく、年収が高く何をするにも裕福な人だけが実現するのではなく、普通のおじさんやおばさんに届く方法(システム)を作ることが、国でも地方でも、大人が次の世代のために実現させなければならないことである、と思っている。色々な人たちとこの話をしてみよう。


医学という観点は知らない分野であったが、スポーツ活動には必要なことの一部だ、との認識はあった。

・スポーツ傷害は人災!
・オーバーユース、オーバートレーニング、
・運動と喘息、
・心臓震盪(しんぞうしんとう)、突然死、AED、
という内容のお話を聞き、

スキー活動中に、命にかかわる症状が参加者に現れた時、講師としてどこまで何ができるのか。
講師、パトロールとスキー場の対応、救命救急との連携、活動するエリア、遠征するエリアの状況が気なってくる。

かなり以前から、活動するスキー場の代表電話番号や、パトロール部隊の直通電話番号は携帯電話のアドレス帳に記録し、講習活動をする際には携帯電話をポケットに入れているところではあるが、迅速な通報はもちろんのこと、救急隊が到着するまでの間、何ができて、何をしてはいけないのか、シーズンに入るまでに、もう一度整理してみようと思う。


※ AED [Automated External Defibrillator] 突然,心停止状態に陥ったときに装着して用いる救命装置。
先日新潟日報社会面に掲載されていた記事を紹介したいと思います。

【参考サイト】
さいわいFC応援サイト:JFAハンドブックやU6、U8-10のハンドブックなど、PDFファイルを見ることができます。
国立スポーツ科学センター:コラム/医科学論壇/田口素子さんの栄養にかんする文献が参考になりました。
アスリートのわいわいレシピ:国立スポーツ科学センターに掲載されています。
食事バランスガイド:イラストが多用されわかりやすい内容。



2006.9.14
経験

経験することって良いことですか?
上手く滑りたい、思ったとおりに滑りたい、スキーヤーなら誰でもそう思うはず。

現実はどうでしょうか?


久しぶりにお会いしたら滑りの質がガラリと変わっている、という人もいますし、全く変わっていない人もいます。


レジャースキーヤーを除き、目標を持って取り組んでいる人それぞれに「上手く滑りたい、思ったとおりに滑りたい」と思っていて、その思い通りに達成できている人と、できていない人がでてくる。
果たしてその差は何??


最近思うのですが、経験には「プラスの経験」と「マイナスの経験」があるのではないだろうかと。

「プラスの経験」:うまくできたことを経験すること。
「マイナスの経験」:うまくできないことを経験すること。


「プラスの経験」をどんどん蓄積していって計画どおりに上達する人と、「マイナスの経験(その時の感覚)」を後生大事に蓄積してしまい、「うまくできる」をなかなか経験できない人。

「マイナスの経験」を「プラスの経験」に変えるには、思考が必要である。
体を目標どおりに動かす試み(シミュレーション)が必要である。
この作業は滑っている時にはできない。練習は練習の時間にしかできない。


思考する時間の量と、自分の体を客観的に眺めて見る作業時間を確保したいところである。



2006.9.16
直滑降

今時とんとお見かけしませんね、直滑降を練習している人。
直滑降なんてもちろん出来ますよ、なのですが、質の高いものはできますか?


両足で直滑降をしながら、屈伸運動をしたらどうなりますか?
アナログ体重計の上で屈伸運動をしたら、針はどう動くでしょうか?

高い位置から脚を曲げる瞬間、低い位置から立ち上がった時、あなたの体重はダイエットに成功します。

スキーを雪面に押さえつけているつもりでも、浮いています。
スキーを雪面に押さえつけるため、力を加減することも必要です。自分の意識と、自然の法則が一致するとは限りません。


広い緩斜面で片足の直滑降をしてみてください。
さらに、片足直滑降をしながら屈伸運動をしてみてください。

ふらふらする人は、山回りになってしまうはず。


ターン運動の中でも、パラレルターンをしている時の切り替えの場面では、斜面を斜め方向に直滑降するようなバランスを必要とする局面があるはずです。


こんな感じで、毎年「0」に戻るようにしています。昨シーズンに色々学んだことを踏まえ、一番やさしい場面から、自分の滑りを組み立てる、考え直す作業を頭の中で行ったり、雪の上で確認したりしています。

質を高める作業は、やさしいことから始めるに限ります。



2006.9.18
山回り

準指導員を合格しても、自分に足りないものを吸収したいと思い、八海山スキー場にて大平成年デモの講習会に参加したのは、85年1月と思う。

この時の一番の課題となったのは、『山回り』。
ラディウスの数値が大きい当時のスキーで、極細いシュプールを描こうとする。

とにかく「じっ!」としているのだ。体のバランスが崩れると、シュプールもぶれる。


それから毎週末のトレーニングは、もちろん石打後楽園スキー場である。
この頃は1日13時間くらいゲレンデにいた。朝食を早めに頂き、8時過ぎにはゲレンデに出ていた。
しかし、当時はシングルリフトしかなく、10時を過ぎる頃には、どのリフト乗り場にも行列ができる。

そうなると、思ったようなトレーニングができなくなるので、「レストラン イイホー」の横(18番ホールのフェアウエイ)あたりの緩斜面で『山回り』に取り組んでいた。(この前の年は『斜めプルーク』の質を高めるトレーニングでした。)

このシーズンは、『山回り』の練習にかなりの時間を当てた。
回転半径はめちゃくちゃ大きいが、昔の板でカービングターンができるまでになっていた。


一度「できる」という経験をすると、「いつでもできる」というのは割りと近いところにあり、容易に手に入れることができる。

そのためには、結論を急いではいけない。
しっかりと目標に向けて取り組んでほしい。



2006.9.20
星瑞枝選手けがした模様です(とても心配・・・)

発展途上のスキーヤーが応援している星瑞枝選手、ゲートトレーニング中に怪我したみたいです。心配です・・・。
世界で10番以内に入ることが出来る能力がある彼女のことですから、体力的にも精神的にも、一回りも二回りも大きくなってほしい・・・。あせらなくてもいいんです・・・。今は動けなくても。

応援しています・・・。

星瑞枝ファン



2006.9.23
スポーツホテル八紘閣

20代前半にスキーに熱中し成果をあげることができたのは、スポーツホテル八紘閣の社長「小野塚喜明さん」との出会いが全てである。(現在は観光カリスマとも呼ばれており、グリーンツーリズムコーディネーターとして新潟県全体の活動にもご活躍されている。)

ご本人もデモンストレーター選考会に出場していた選手で、元ナショナルデモの「小野塚喜保さん」は弟さんである。

スキー技術の話は一切しない。しかし、取り組み方、考え方、着眼点、どれも大きな影響を受けた。「自分のスキー教程を作れ」という教えについては、私の教程は毎年改定され続け、今も取り組み続けているところである。


上越新幹線が開通してからは、新潟県で発売されていた回数券の束を、「使った分だけ精算してくれればいいよ」と預けてくださり、その束を握り締め、石打後楽園スキー場へ通っていた。


土曜日の昼過ぎに東京を出発し、15時過ぎには石打後楽園スキー場の山頂に立っていた。そして、延々と練習し、日曜日の午後も滑り、ナイターまで滑るようになっていた。月曜の朝、社長夫人の明子さんは朝食に「自家製魚沼産コシヒカリ100%のおにぎり」を用意してくださり、湯沢駅まで送ってもいただいた。何か、新潟の実家から東京へ通っている、そんな感覚にもなっていた。


スキーの道具はホテルに預かっていただいたので、スーツにコート、革靴のビジネスマンが雪国を往復していた。



2006.9.26
高度情報化社会

1970年代後半に「高度情報化社会」がもうすぐやって来る、そう言われていた。

中学生から高校生だった私は、次のように考えた。

(1)
情報が伝わる速度があがると、日本中どこにいても変わらなくなるぞ。都会と田舎の差がなくなるぞ。時間と空間の差がなくなるぞ。

(2)
時間と空間の差がなくなると、土地があることの価値が見直され、土地が沢山ある北海道はこれまで以上に魅力ある産業活動が展開されるだろう。

(3)
時間と空間の差がなくなると、どこにいるかは問題ではなく、自分が何を考え行動していくかが重要になるだろう、と。


2006年現在、(1)と(3)はおおよそ実現されていると思う。(2)はまだなのかもしれない。


特に(3)のことから、高校を卒業したら上京し、日本の中心に立ってみて、今、日本で何が行われていて、それを自分がどう思うか、何を感じるか、教科書には書いていない現実を勉強し、そして成長できたら北海道に戻り故郷のために頑張ろう、そんな事を考えていた。



2006.9.28
日本一大きな会社

東京で働くことになった。10年間かけて何かを感じようと思っていた。10年頑張って、その次の10年間の目標を決めようとも思っていた。

年金と保険の仕事に就いた。日比谷公園の前のビルや、環状8号線と井の頭通りの交差点近くであったり、三鷹の電信電話の会社ビルが勤務地であった。

国家プロジェクトの仕事もした。日本一大きな会議場に出入りしたり、年末には翌年の予算を決めるために朝まで働いたりした。スキーにも熱中したが、仕事も好きだった。


目標の10年目を向かえようとした頃、安定した高収入を捨てることにした。

お金を手に入れても、不正や保身に走る人達の姿を目の当たりにしていたこと、老人になったころには天下りのシステムも解体されるであろうこと、この道をさらに進んでいったときに周辺から受ける影響を自分の体には入れたくなかったこと、何にせよ、「不正は嫌いだ」。

どうも分岐点に差し掛かると、楽な方の道ではなく難しい方の道を選択してしまう。
組織から離れて個人として何ができるか、何かをして、そして老人になるころには肩書きなどを誇ることなく、明るく楽しく生きていたい・・・。

それにしても、当時一緒に仕事をしていた先輩方々が、テレビの中で頭を下げている姿を見るのはとても辛い。



2006.9.29
子ども

準指導員を受検していた頃、アスペンスキークラブで同じく受検していた10歳年上の三田村さんにとてもお世話になった。
岩手県出身の方で、実家へもお邪魔してお世話になったこともある。空間デザイナーとして活躍されていて、猪苗代近辺スキー場のホテルや某スキー場コースの設計など実績があり、設計途中の模型なども見せていただいた。


スキーへの情熱はとても大きく、彼が若い頃にトップデモだった相田芳男さんの16ミリフィルムを見せていただいた。
直接連絡を取り、スキー指導教本の初版本の撮影が終わって次の撮影の合間に撮影させていただいた、という貴重な映像であった。


彼は3人の子宝に恵まれていた。そして3人がいいんだよ、という話を伺った。
母親の手は2本しかなく、手をつなぐのに、3人だと子どもながらルールが生まれるんだよ、ということ。

そして、私なりに考えたこと、
一人っ子=(T)、私。(自分を中心に考える体験)
二人=(You)、私とあなた。(対立する体験)
三人=(We)、私たち。(巴という場面から仲間という意識を体験)

日本一大きな会社で10年目を迎えるころには、2泊3日だったり3泊4日だったり、その分の着替えを鞄に詰めて出社する毎日であった。その頃には2人の子宝に恵まれていたが、もう一人欲しいと、真剣に考えていた。



自分が14歳の頃、子どもながらに色々考え悩む時、父親に意見したことがあった。
兄がいて、中学生になる子どもを持つ親としては2回目かもしれないけど、2人目の子どもが中学生になるのは初めての体験でしょ!


自分自身の分岐点を迎える頃、家族にとって、自分にとっての最適な「解」を見つけたかった。



2006.9.30
最大公約数

最適な「解」を求めるために情報収集につとめた。

そして進路を「新潟県」にとった。


北海道に行ける空港が近くにある。
東京に行こうと思ったら新幹線で日帰りができる。
壁にぶつかった時にそれを乗り越える術をスキーから学んだことまで「無」にすることには「勇気」がなかった。

仕事はスキーウエアの研究所に勤務することになった。7万人の地方都市で誰一人として知る人はいない、そんな環境であった。まだインターネットは無い時代である。近くにスキー場があることは道路マップで知った。(後にそのスキー学校の方々が暖かく迎えてくださったことが今の自分を支えている。感謝!)


スキー連盟のナショナルチームのウエアが一社で請負制になった初回(1992年)、P社のウエアにはとても驚いた。
「むら染め」という柄で、同じウエアなのに一人一人微妙に違うのだ。
こんなの見たことなかった。
新しい事にチャレンジする企業であると映った。


そんな人たちと一緒に仕事ができたらと思い、門をたたいた。
当時の東京本社の会長は戦前の「美津濃」に勤められていて、東京都のスキークラブに所属され、赤城高原へのスキー行に熱中されていたそうだ。そこで猪谷千春さん親子と出会うのである。そして成長した猪谷千春さんをスター生命の会長に引き合わせアメリカ留学のきっかけを築いたり、志賀高原の開発に携わったりと、スキー界の発展に多大な貢献をされた方である。詳しくは日本経済新聞の連載コラムに掲載された内容をご覧ください。

そんな方々と一緒に上海へ出張に行ったこともあった。そして8年目に会社を去る決意をするのである。
駄目なものはだめで、許せないのは許せないのである。

そしてまた難しい道を選択してしまうのであった。

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